生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得

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長谷川 香子 *
Innate Linguistic Knowledge (Universal Grammar) of Generative Grammar and Language Acquisition
1.はじめに
生成文法は、米国の言語学者、ノーム・チョムス
キーによって提唱された言語理論である。チョム
スキーは、1957 年に自身の最初の著書 Syntactic
Structures を出版した。その理論とアプローチ
は、従来の言語学とは異なる数学的手法を取るも
ので、言語学分野だけでなく、認知科学や自然科
学の多くの分野に人間の言語能力と言語獲得につ
いて重大な示唆を与え、研究の流れに画期的変化
をもたらした。生成文法以前の言語研究は、基準
規範に従い言語の正用と誤用を明らかにする伝統
文法や、言語の記述により言語構造を分析する構
造言語学、また、言語の系統から祖語や中間言語
等の発音・語彙の対比・語彙順から文構造を研究
する比較言語学、語源・音声分布を研究する史的
言語研究など、いわば文系の領域において多角的
に行われていた。1950 年代半ばまでの米国におい
ては、生成文法以前は、行動主義的言語観に立脚
したアメリカ構造主義言語学が主流で、言語伝達
における具体的な観察を通し収集した音声データ
の分類・分析を記述的に明記し、音韻論、形態論、
統語論の研究を進める方法が、言語研究として広
く受け入れられていた。しかしながら、アメリカ
構造主義言語学は、いったん個別言語の音声や音
韻現象のデータの分類と分析が終了すると、その
研究目標も達成されたことになり、必ずしも、言
語学者の満足のいく言語理論とはならなかった。
そのような中、アメリカ構造主義の経験主義言語
観を刷新し、まったく異なる科学的側面から言語
研究を行う生成文法が提唱され、人間の普遍的な
生得的言語知識と言語獲得について、自然科学と
同じ方法でアプローチを図るその理論と手法が大
きな反響を呼んだ。そして、今日に至るまで、生
成文法は言語学研究において、統語論研究を大き
く発展させ、意味論、音韻論、形態論と共に統合的
に研究を進展させてきた。合理主義的哲学、及
び、自然科学的言語観に根ざす生成文法は、言語
学分野だけでなく、さらに、情報科学、自然言語処
理、コンピュータ言語学、心理学、生物学、認知脳
科学などの分野も巻き込み、今なお研究の発展途
上にある。チョムスキーは、人間に固有な言語能
力と母国語獲得の過程、言語の創造性、言語理解
と言語使用の方略にまつわる疑問を、言語学的に
納得し得る説明で解決しようと考え、生成文法理
論を編み出した。チョムスキーは、人間には生得
的な言語機能が備わっていると仮定し、すべての
自然言語に共通する言語機能の初期状態を「普遍
文法」と呼んだ。チョムスキーの理論では、この
普遍文法(初期状態)は、人間が一切の言語データ
にさらされていない状態を指し、この状態で、量・
質ともに不完全である外的言語データにさらされ
ると、そのデータを基に、人間が生得的に有する
と考えられている言語機能により、言語知識の安
定状態に到達すると考える。この言語機能は、
チョムスキーが仮定するモジュールの一つで、
チョムスキーは、この言語機能は、人間に固有の
遺伝的資質であると説明している。生成文法の目
標は、定常状態としての個別言語の理論構築と、
個別言語獲得の源泉としての初期状態である普遍
文法の特定、そして普遍文法から個別言語への変
遷を明らかにすることである。チョムスキーは、
文脈自由文法などを含む句構造文法を記述し、す
べての文を生成できるよう、句構造文法に書き替
え規則や変形規則を適用した。また、文法範疇や
長谷川 香子
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  • 石巻専修大学人間学部人間文化学科
「石巻専修大学 研究紀要」第29号 45―58 2018年 3 月
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チョムスキー階層と呼ばれる、文を生成する 4つ
の階層クラスを規定した。しかしその後、「生成文
法は言語使用や言語現象を説明できない」、「生成
文法では文や文脈上の意味が排除されている」、ま
た、「言語間の変異について説明がなされていな
い」など、数多くの指摘や批判を受けたことから、
「統 率 束 縛 理 論」(Government and Binding
Theory)、「ミニマリストプログラム」(Minimalist
Program:極小主義)へと理論の改訂を進めなが
ら変遷をたどることになる。しかしながら、生成
文法は、その目標と研究方法の基本的概念を変え
ることなく進展し続け、近年は、文法を数学的手
法で精密に分析することを可能にしたとして、認
知科学や自然科学分野で、その貢献が高く評価さ
れている。そして、形を変えながらも、認知科学
や自然科学の多くの分野において、その科学的ア
プローチが受け入れられ、各分野研究の進展に大
きな影響を及ぼしている1。それゆえ、生成文法
は、言語学の従来の古典的言語研究や記述的言語
研究に革命とも言える重大な影響を及ぼしたばか
りでなく、言語学研究と自然科学研究に融合をも
たらしたとして、その出現は、「チョムスキー革
命」、「認知革命」、「科学革命」などと呼ばれてい
る2。本稿では、チョムスキー(1965)が生成文法
理論の基本課題として挙げた次の 3 つのテー
マ3: 1.『何が言語知識を構成するのか』 2.
『母国語話者の言語知識はどのように習得される
のか』 3.『どのように言語知識は使用に付され
るのか』に沿って、生成文法理論の変遷と、課題、
将来の展望について考察する。本稿の第 2 節で
は、年代毎の生成文法の変遷と各発達段階におけ
る理論の特徴と問題点、及び解決の試みについて
概説する。第 3 節では、生成文法の基本的問題群
について概要と考察をまとめ、第 4 節では、言語
獲得と言語機能について、言語のクレオール化、
臨界年齢、言語の可塑性、脳障害の事象を通し、生
得的言語能力の観点から考える英語教育への提言
をまとめる。第 5 節では、結びとして、生成文法
の言語研究と認知脳科学研究の統合的研究の重要
性と将来的展望についてまとめる。
2.生成文法の各発達段階における理論の特徴と
問題点 4
A. 標準理論(Standard Theory)の特徴と
問題点(1950 年代半ばから 1960 年代)
特徴:
a. 文の句構造規則と変形規則の設定
b. 深層構造と表層構造の設定
c. 音韻規則と意味解釈規則の設定
生成文法の「標準理論」では、文は、
句構造規則と変形規則で生成されると仮
定され、普遍文法は、普遍的特質により、
個別言語の文法の形式と適用方法が提示
された。また、個別言語毎に、様々な規
則、例えば、英語の場合は、受動変形規
則、wh 変形規則、主語繰り上げ変形規
則などが提案された。「標準理論」では、
文の句構造規則と辞書から作り出された
文の深層構造は、変形規則の入力により
表層構造となり、その後、音韻規則の入
力により音声表示が得られるとし、また、
もう一方では、意味解釈規則により意味
表示が得られるとした。しかし、徐々に
以下の問題点が指摘される。
1.母国語話者はどのようにして、様々
な句構造規則や変形規則を獲得し
たのか。
2.異なる言語間の母国語話者に、句
構造規則や変形規則、音韻規則と
意味解釈規則に関する共通の言語
知識があるのか。
3.言語間のそれら規則の差異はどの
程度なのか。
4.句構造規則は、各品詞の多様性に
対応できず、非文法的な文を生成
する。
5.意味解釈には表層構造の入力が必
要である。
B.拡 大 標 準 理 論(Extended Standard
Theory)と改定拡大標準理論(Revised
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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Extended Standard Theory)の特徴と問
題解決への試み(1970 年代)
特徴:
a. 意味解釈規則への深層構造と表層構
造の入力
b. 派生の初期段階を D 構造、派生後の
段階を S 構造と制定
c. 句構造規則の Xバーによる再定式化
d. 痕跡理論の導入
e. 表層構造のみの意味解釈規則への入
f. 意味解釈規則は叙述、照応・削除、数
量詞・否定の作用域など論理形式で
表示
g. 変形解釈規則の NP 移動と wh 移動
への大別
h. 非適格な表層構造の排除のための表
層構造フィルターの設定
「拡大標準理論」では、肥大化する句構
造規則を一般型に設定し、「Xバーの式
型」として定式化した。また、意味解釈
規則には、表層構造の意味も作用すると
考え、深層構造だけでなく、表層構造も
入力となるとされた。「改定拡大標準理
論」では、構造保持の仮説や島の制約が
一般化され、構造保持の仮説では、移動
の位置に痕跡として空範疇が残ると考え
る「痕跡理論」(trace theory)が導入さ
れた。そのことにより、意味解釈規則は、
深層構造の入力の必要性がなくなり、表
層構造のみの入力となった。
以下に 1.「Xバー理論」と 2.「痕跡理論」
について概説する。
(a).「Xバー理論」
「標準理論」においては、句範疇は、各範
疇ごとに多くの句構造規則が提示されてき
た。Xバー理論は、そのような複雑性と煩
雑性を一般化しようと提案された理論であ
る。Xバー理論は、英語だけでなく様々な
言語における句構造に関する形式的普遍性
を表す規則であり、次のような考察から生
み出された。英語を例に取ると、動詞句
(V)、名詞句(N)、形容詞句(A)などは、
その構成が類似しており、主要部(head)
とその右側に補部(complement)が現れる。
以下の例では、主要部の品詞の違いにか
かわらず、いずれの句においても、補部と
して、それぞれ、動詞句では NP、名詞句で
は PP、形容詞句では S’が現れている。
a-1. go shopping (V̶NP)
a-2. itinerary for the trip (N̶PP)
a-3. pleased that you are keeping well.
(V̶S’)
また、主要部と補部からなる構成素の
左側には、次のように、修飾語句の指定
部(specifier)が現れ、動詞句では助動
詞、名詞句には冠詞、形容詞句では副詞
が現れる。
b-1. [ will [go shopping]]
b-2. [ the [itinerary for the trip]]
b-3. [ very [ pleased that you are
keeping well]]
これらは、句構造に関する重要な規則
性であるが、句構造規則では、句範疇毎
に記述がなされており、このような規則
性は反映されていない。
従い、「拡大標準理論」では、いずれの
句の構造も一般化できる規則を記述する
ため、主要部を変数(variable)Xで表
し、主要部と補部から成る構成素は X’、
X’と指定部からなる構成素を X”で表し、
次の定式を提案した。これを「Xバー理
論」と呼ぶ。
a. X’ → X Comp
b. X” → Spec X’
c. Comp → NP, S, NPS, NP PP, PP PP,
長谷川 香子
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etc.
これを樹形図で表すと、以下のように
なる。すべての句はこのような構造を成
していると考える。
*X”は、すべての句を表し、Xは主要部、
補部は主要部の意味を補うもの、指定部
とは、指示語など。主要部 Xは、X’に、
そして、さらに X”に投射される。従い、
句 X”は、X’と Xの範疇が投射されて
作られると考える。
(b).「痕跡論」
初期の「標準理論」では、同じ意味の文
は、受動変形、wh移動変形、主語繰り上げ
変形への変形などにより、別々の文に派生
すると考えられていた。そして、文法に適
合した文のみが生成されるよう、個々の変
形規則には様々な条件が付けられた。この
ため、言語習得のプロセスにおいて、子供
は様々な条件が付いた多くの変形規則を習
得すると仮定しなければならなかった。し
かし、「改定拡大標準理論」の頃になると、
子供の言語獲得の問題を説明するため、子
供が言語データから習得する規則を簡素化
しようとする方向に研究が進み、変形規則
の共通性を一般原則として抽出することが
試みられ、「痕跡理論」が提案された。「X
バー理論」と同じように、「痕跡理論」も、
人間の言語知識(普遍文法)は、簡潔で、
余剰性がないものでなければならないとい
う概念に基づいており、「Xバー理論」が
句構造の一般化を考えたように、「痕跡理
論」も可能な変形規則を制限する方向へと
進んでいった。簡潔性、余剰性を考慮した
この概念が、後の「原理とパラメーターの
アプローチ」への発展へと繋がっていくこ
とになる。「痕跡理論」では、「変形規則は
任意の要素を任意の位置に移動せよ5」と
いう一つの変形規則に収められ、例えば、
wh移動の場合の、痕跡(trace)を表す(t)
を使い、次のように “When1 did you
come t1 here? ”と表記する。受動文の場
合は、以下の例文(1)のように、目的語の
名詞句が移動した後、元の目的語の位置に、
名詞句との関係を維持する空範疇が、痕跡
(t)として残る。NP移動の場合は、通常、
NPの移動先は、本来 NPが現れることの
できる位置になる。しかし、以下の英文(2)
の NP、Steveを Tomの位置に移動するこ
とはできない。
受動文:
(1) The ball1 was thrown t1 by Tom.
この分析によると、意味決定に必要な文
法関係が痕跡:by + NPによって表層構造
に組み込まれるので、意味解釈は、表層構
造だけによって決定されるというこことに
なる。
NP移動:
(2) Tom knows that David told Chris that
Steve is leaving Paris tomorrow.
  • Steve knows that David told Chris
that t is leaving Paris tomorrow.
(*は、非文を表す)
C. 統率束縛理論(Government and Binding
Theory))の特徴と問題解決の試み(1980
年代)
特徴:
a. パラメーターの概念の導入
b. モジュール的言語観
c. 文法モデルの抽象化
d. 個別言語から普遍文法(UG)へのシ
フト
e. UG 充実化で増長する説明の困難さ
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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「統率束縛理論」(GB 理論)の時期になる
と、記述的妥当性の達成を課題とする「標準
理論」、「拡大標準理論」、「改定拡大標準理論」
とは異なり、母国語話者の言語知識はどのよ
うに獲得されるのかという問題を焦点に、説
明的妥当性の達成に目標が置かれるようにな
る。これは、プラトンの問題(刺激の貧困)
として知られるように、なぜ子供は短期間の
うちに、限られた言語データから文法にか
なった無限の文を創造できる能力を獲得でき
るのかという課題の解明を目指すものであ
る。これまでの標準理論では、様々な変形規
則が提案されたが、徐々に、『適用を受けた変
形規則の表示で意味解釈を行う』と説明しな
ければならない現象が出てきたため、「拡大
標準理論」と「改定拡大標準理論」では、変
形規則の一般化を目指し、「Xバー理論」や
「痕跡理論」などが提案されてきた。しかし、
「GB 理論」は、『説明的妥当性の達成』を目標
に、研究対象を個別言語から普遍文法(UG)
へと移行させ、「標準理論」の文法モデルを抽
象化しながら、個別言語のパラメーターの概
念を導入した(例えば、目的語が動詞の前、
あるいは、動詞の後にくるかの基本語順、主
語の発音の有無、文における主格の名詞句の
複数回出現など)。そして、人間に生得的な
UGの下位構成として、「Xバー理論」、「痕跡
理論」や独立した「θ理論」、「格理論」、「統
率理論」、「束縛理論」などの原理を導入した。
UGでは、θ理論の「θ基準」や格理論の「格
フィルター」、「α移動」などの原理が連動す
るものとして捉えられ、その結果として、UG
には、それぞれに関連する「原理とパラメー
ター」が仮定された。子供は、生得的な UG
と、言語データから経験的に決定するパラ
メーター値により、言語を短期間で習得し、
且つ、創造的に運用すると仮定したのである。
「GB 理論」の普遍文法への移行は、生成文法
の言語理論としての集約に貢献し、パラメー
ターの概念は、個別言語の文法、音声、意味
研究や言語習得、比較言語学などの研究を進
展させた。一方、「GB 理論」の UGへの研究
対象の移行は、人間の生物的特性への関心へ
と繋がることになる。そもそも生成文法は、
言語現象の正確な記述とその理由の説明、ま
た、言語知識の規則性の原理、原則の探求を
主とするため、その手法は、自然科学と同様
の立場を取る。現在、普遍文法(UG)研究は、
人間の認知体系における言語機能と言語器官
に関し、言語学分野だけでなく、認知脳科学
分野や様々な自然科学の分野において精力的
に研究が推し進められている。
以下に 1.「θ基準」と 2.「格フィル
ター」、「α移動」について概説する。
(c).「θ基準」
文の述語(動詞)には、行為や状態に関
わる対象が必要となる。このような対象
は、人、物、概念などを指し、生成文法で
は、これらを参与者と呼ぶ。参与者がいく
つ必要かは述語によって決まっていると仮
定されている。「GB 理論」では、参与者の
役割を「θ役割」という概念で表す。参与
者は大まかに、次のように、Agent(行為
者)、Experiencer(経験者)、Theme(対象
物)、Proposition(命題)に区分けされる。
a. [AGENT Mary] plays the piano
every day.
b. [EXPERIENCER Tom] was happy to
see his uncle.
c. Eddy finished [THEME his home-
work] easily.
d. Grace believes [PROPOSITION that
Scott will pass the examination].
次の英文は、参与者がないため、非文
法的な文とみなされる。
e. *The nation declared. [NP inde-
pendence].
declaredという動詞には、必ず、名詞
句の補部を必要とする特性がある。その
ため、補部のない文は、非文法的となる
が、後続の independenceという名詞句
があると文法的な文となる。
長谷川 香子
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f. * Nancy is going to buy a purple
dress tomorrow that she likes it.
埋め込まれた that she likes itには、役
割を指定するものが必要である。
統率に基づき、「θ基準」について、チョ
ムスキーは次のように定義している。
「一つの項(argument)は一つのθ役
割(θ role)を持ち、一つのθ役割は一
つの項だけに付与される6。」
このθ基準を仮定することにより、多
様な句構造規則は必要なくなる。
(d).「格フィルター」
以下の例文の a-2と b-2は、「句構造規
則」にも、「θ基準」にも、抵触しないが、
非文法的文となる。このような現象につい
て、チョムスキーは、格フィルターの概念
を採用することで解決することを提案し
た。
a-1. Please tell me who I should see.
a-2. *Please tell me who [s I to see].
b-1. I want him to win.
b-2. *I want very much him to win.
格フィルター(Case Filter)の定義:
「音形を伴う名詞句は、抽象格を保持し
ていなければならない7。」
チョムスキーは、抽象格が付与される条
件として、目的格の付与者 VP・PP、主
格の付与者 INFL(屈折要素)[+ FIN](定
形)、属格の付与される構造[NP__...]を
仮定した8。(INFLは屈折だけでなく助
動詞や toなども含む。)
  • Please tell me who [s I to see]. の例
文は、埋め込み文の INFLは[+ FIN]
ではないので、主語は主格とはなら
ず、非文法的と判断されることにな
る。
「Xバー理論」、「θ理論」、「格理論」、「束
縛理論」の投射原理やその他原理により、
「α移動」は、「任意の範疇を任意な位置へ
移動せよ9」という制限を設定することが
できるようになった。そのためα移動は、
θ基準により、非θ位置に限定された。
格フィルターにより、項位置の移動は格
付与される位置へ、そして非項位置への移
動は、格付与されない位置へと義務付けら
れることとなった。
D. ミニマリストプログラム(Minimalist
Program)(極小理論)の特徴と問題解決
の試み(1990 年代〜現在に至る)
特徴:
a. 句構造規則の破棄と変形規則の破棄
(top-down)と併合による語句の結
合(bottom-up)
b. 語彙項目の語彙的特性に基づく組み
立て
c. 小さな UGへの移行と言語の進化・
起源への研究
d. 自然科学研究への進展
「ミニマリストプログラム」は、理論の余
剰性を取り除いていこうとする考えに基づ
き理論の原理を進展させてきた「統率束縛
理論」(GB 理論)の研究の積み重ねの延長
上に位置する理論と言える。「GB 理論」
は、長年における生成文法の様々な言語現
象の分析から、原理とパラメーターのアプ
ローチを発展させ、自然言語の性質の解明
に大きく貢献した。しかしながら、「ミニ
マリストプログラム」は、その名称が示す
ように、人間の言語機能を最小の枠組みで
構築することを理念としており、理論の「経
済性」と演算システムの「最適性」を目指
すものであるため、「ミニマリストプログ
ラム」においては、「GB 理論」で仮定され
た様々な原理やパラメーターは、見直され、
変更や統合により、その具体的な提案は、
その基本仮説に沿うべく、文法モデルの簡
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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素化が図られた。Xバーや X’の投射を表
わす記号は削除され、「GB 理論」の「統率」・
「束縛」の概念も別の形に組み込まれたり、
取り除かれたりした。また、文法は、調音・
知覚体系を表す「PF(phonetic form)表
示」と、概念と意図体系を表す「LF(log-
ical form)表示」の組み合わせを出力とす
ると考えられたため、インターフェイス表
示は、PF 表示と LF 表示に限られ、最小化
が図られた。そしてさらに、「D 構造」と
「S 構造」の諸原理もインターフェイス表
示における最小出力が設定されなければ、
削除されることとなった。「ミニマリスト
プログラム」においては、チョムスキー
(1995)は、その研究課題を、認知体系の言
語機能を満たす一般条件についての探究
と、自然言語の創造性や簡潔性に関する探
究、及び、言語現象の演算操作の解明であ
ると提示した。この提示は、人間の認知体
系の内外における言語機能の作用と生物的
基盤としての言語器官との関連性、言語能
力、言語の起源・発生など、言語学分野と
自然科学分野の様々な認知科学研究に新た
な研究の指針を与えるものとなった。事
実、これら課題は、言語学研究のみでなく、
認知科学研究や自然科学研究の知見や成果
なしでは達成され得ないものであり、近年、
「ミニマリストプログラム」研究の進展を
背景に、言語に関わる認知脳科学研究や認
知生物学研究がさらに進行している。
以下に、ミニマリストの演算操作につ
いて、基本的概要をまとめる。
(e) ミニマリストプログラム(極小理論)
ミニマリストプログラムでは、演算シス
テムに併合(merge)という演算操作を取
り入れることが提案されている。これは、
まず、時制や人称が省かれた語と語を結合
させ、結合と移動を繰り返すことにより
LFに至る派生を説明する方法である。こ
れは、演算の経済性を念頭に、人言の言語
操作を仮定する概念である。次に、語彙の
素性(人称・数・性)を考慮に、素性照合
を行う。素性照合とは、素性の値が同じで
あることを演算プロセスにおいて、確認す
ることを指す。例えば、想定する主語が三
人称・単数・男性であれば、Johnの投射も、
三人称・単数・男性となる。この解析法は、
人間の自然言語操作が容易な様を、できる
だけ、余分なメカニズムを避けることによ
り説明していこうとする論理に則っている
と言える。例えば、Her sister had her
haircut yesterday. では、“Her sister”を三
人称・単数・女性の素性と照合させ、名詞
句を作る過程を踏む。そして、次に句構造
を作るため、まず、“her”と“haircut”を
結合し、それを“ had”と結合し、“had her
haircut”の動詞句を作る。そして、次に、
意味上の関連性やまとまりのある“yes-
terday”を“had her haircut”と結合させ、
“had her haircut yesterday”を作る。この
場合、結合は小さい統語対象からより大き
い統語対象へと循環的に派生が進む方向で
考える。先に想定していた“Her”と
“sister”を結合し、“Her sister”の名詞句
を作る。そして、この名詞句と動詞句を結
合させ、Her sister had her haircut yester-
dayとなる。おそらく、このような方法が
人間の脳の中で行われる一つの演算操作で
はないかと仮定されている。このように、
ミニマリストプログラムでは、言語操作を
人間に特有な普遍的過程として想定し、音
韻、語の形態、統語、意味概念、語言語処
理、言語獲得過程等の特性の解明と共に、
それら特性の認知体系との関わりを探求し
ていくことが重要視されている。
3.生成文法の基本的問題群
生成文法の歴史は、Chomsky の 1957 年の
Syntactic Structuresの出版から始まり、その誕
生からもうすでに 60 年の歳月が経つ。その間、
仮説の見直しや再構築の大きな変遷が何度かあ
り、それら変遷に伴い、理論的枠組みが変わり、
理論の構成や概念が改定されてきた。しかし、新
たな言語現象の分析と考察を進めながらも、生成
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文法は、着実にその理論を進展させている。先に
も述べたように、生成文法は、言語学研究に人間
の言語能力と普遍的言語知識の概念を取り入れ、
自然科学の手法で、これまで知られていなかった
個別言語の新しい経験的事実の発見をもたらした
ことにより、現在、その理論は言語学分野だけで
なく、自然科学の多くの領域で応用され、言語機
能や人間の認知機能・認知体系に関する研究に拍
車が掛っている。しかしながら、生成文法は未だ
多くの未解決問題を抱えており、その理論はまだ
途上にあると言える。生成文法の「基本的問題群」
を福井・辻子10は、次のように提示し、説明してい
る。
(1) 言語の知識
(2) 言語(知識)の獲得
(3) 言語の使用
(4) 言語の脳科学的基礎
(5) 言語の進化・(系統)の発生
これらの基本的問題群は、生成文法が何を研究
の目的にし、その研究から何を得ようとしている
のかを示している。生成文法理論の問題点を整理
し明確にすることにより、その解決法について改
めて検討・考察することができる。チョムスキー
は、人間には生得的な言語能力が備わっており、
人間の脳には、「言語獲得装置」があると仮定する。
そして、この言語獲得装置には、生得的言語知識
である言語規則が内蔵されており、その言語規則
を言語学的に記述したのが「普遍文法」と考える。
従い、(1)の言語の知識は、外部からの言語デー
タに一切さらされていない普遍文法の初期状態が
外部からの言語データの入力により習得される母
語話者の言語知識ということになる。これは、脳
に内在化されているという意味で、「internalized
言語(I 言語)」と呼ばれ、この状態を定常状態、
あるいは、安定状態と呼ぶ。初期状態である普遍
文法を記述し、言語機能がどのような方略とプロ
セスで安定状態に至るのかをモデル構築により説
明することが生成文法の大きな目的であるが、人
間の言語知識を言語学的に明示する方法は、これ
までの様々な試みによっても未だ困難を極めてい
る。(2)の言語(知識)の獲得の根拠は、子供は、
外部からの言語刺激や経験が乏しいものであって
も、3・4歳頃には、流暢に母国語を話せるように
なることから、人間には生得的な言語能力がある
と推定されることにある。やはりここでも、言語
(知識)の獲得の方法と過程の明示は、普遍文法の
構築と言語機能の解明が重要な基盤となる。(3)
の言語使用に関しては、生成文法は、まだ明確な
方法論や結論を得ていない。これは、未だ、生成
文法の考える言語の本質が明らかにされていない
ためである。生成文法は、言語使用のプロセスに
は、自律したシステムとしての言語機能が介在す
ると考えるため、言語機能を他の認知システムか
ら切り離し研究することの重要性を主張する。
(4)の言語の脳科学的基礎の問題については、生
成文法の主張する「人間の脳内には、言語獲得を
可能にするような生物学的に組み込まれた機能が
ある」という概念は、現在では、多くの科学者に
受け入れられたており、言語機能のモジュール性
について研究が進んでいる。しかし、生成文法が、
言語機能についてのモデルを構築し、その内実を
明らかにしようとしているのに対し、脳科学は神
経生理学的に言語機能を研究しようとする手法を
とるため、両者がお互いに、知見を共有し、言語
機能の構成要素やメカニズムを探求していくこと
が重要と考えられる。(5)の言語の進化・(系統)
の発生については、言語機能がどのように発生し
たのかは未だ解明されていない状況にあるため、
信憑性の欠如ゆえの不確実な推測は、研究に混乱
をもたらす懸念がある。しかし、近年のアトキン
ソンの音素研究により、世界の言語は、アフリカ
から離れれば離れるほど音素の数が減っていくこ
とや、インド・ヨーロッパ語族のルーツはカスピ
海地域にあるらしいことなどの新しい見解が見い
だされている11。言語の進化や(系統)の発生に
ついての研究は、言語機能の発生の研究に関連す
るため、生成文法理論にも新たな見解や研究方法
がもたらされることに期待が寄せられている。
4.言語獲得に関連する事象
生成文法の考える言語獲得とは、普遍文法(UG)
に基づきながら、個別言語に合わせてパラメー
ター値を決定する過程を言う。原理とパラメー
ターのモデルでは、パラメーター値は基本的に生
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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得的原理に基づいており、残りは環境によって決
まると仮定されている。これは、安定状態に至っ
た個別言語の文法規則は演算により決定され、語
や文の音韻・形態・意味はそれぞれの各特性によっ
て恣意的に獲得されるとする考えである。言語獲
得(言語習得)に関しては、チョムスキーの獲得
説に反する主張として、スイスの発達心理学者ピ
アジェの学習説がある。ピアジェは、言語発達は
発達学習の一般的な原理と枠組みによって説明で
きると主張し、「言語は、感覚運動的知能に固有な
諸構成の必然的結果として説明でき、生得性の仮
説は無益である12」と述べている。しかし、チョ
ムスキーは、一次言語データの貧困性(プラトン
の刺激の貧困)の問題や第二言語習得の困難さを
鑑み、「私の知る限り、感覚運動的知能の諸構成を
介入させることで、言語の現象を解き明かしてく
れるような説明は全く提示されていない。盲目の
子どもたちは、感覚運動的知能に制限を受けてい
るにもかかわらず、目の見える子どもたちに比べ
て、より早く言語を獲得する。また、ピアジェ学
派は、特殊な能力が独自の方法で発達するような
複数のモジュールではなく、一つのまとまりとし
て心が発達することを主張しているが、これは一
つの可能な仮説ではあるが、実際にはとても大き
な誤りである13。」と述べている。酒井(2002)は、
言語獲得の過程には、遺伝子要因(本能)と環境
要因(学習)の両方が関与していると明示し、そ
のプロセスに、①言語獲得の初期状態(出生時)
→②言語獲得の中間状態→③言語獲得の最終状態
→④言語獲得の完成の多段階を仮定した。そして
全段階において、遺伝的要因と環境要因が作用し
ており、初期状態から最終状態へ進行するにつれ
て、遺伝子要因が優勢に働く段階から環境要因で
ある学習が優勢になる段階へ徐々に移行すると説
明している。本節では言語獲得に関連する事象と
して、クレオール化、臨界年齢における言語の可
塑性、脳障害と言語機能について概説し、日本に
おける英語教育について考察と提言をまとめる。
(1) 言語のクレオール化
クレオール諸言語14はヨーロッパの植民地拡張
の結果、熱帯諸島や熱帯地区の孤立集団で生まれ
た言語である。このような植民地は、少数の支配
者階級と異なる多くの国から来た多数の労働者で
構成されていた。ほとんどの場合、それら労働者
は、支配者階級の言語を通し、コミュニケーショ
ンを始めるが、お互いにとってその言語は異言語
であるため、必然的に補助接触言語:ピジンが発
達する。しかし、そのピジンは世代が変わるとク
レオールに変化を遂げ、その次の世代からは、そ
のままクレオールの言語体系が維持され受け継が
れる。このように受け継がれたクレオールは、接
触言語のどれとも異なり、言語としての体系を有
することから、新しい言語とみなされた。ピジン
の母体となった言語との類似性は認められるもの
の、音韻や意味に大きな変化が表れ、統語におい
ては、母体言語やピジンからは、その特徴を見つ
けるのは困難だと言われている。生成文法理論
は、人間は、普遍的で生得的な言語獲得装置を内
在しており、それは遺伝的に伝達されると提唱し
てきた。しかし、その仮説を立証できない生成文
法家たちに対しては、これまで、多くの学者がそ
の理論の基盤となっている仮説に数多い疑問を呈
してきた。例えば、母親や周りからの言語の入力
(第一次言語データ)は不十分で貧困どころか、母
親は子供のため、繰り返し丁寧に、単純化した文
法的な言語データを子共に与えると主張する研究
者も多くいた。そのような中、ハワイにおけるク
レオール研究者であるビッカートンは、クレオー
ルの場合、それは母親が知らなかった言語であり、
周りの大人たちも知らない言語であったと強調し
た。クレオールの子どもたちは、母親や周りの大
人たちから十分な、そして正しい言語データを受
け取っていないにもかかわらず、クレオール語が
話せるのは、人間が、本来、言語獲得の遺伝的プ
ログラムを有しているためだと主張した。現在、
ピジンやクレオール研究を行う学者の数は少ない
ものの、クレオール現象研究から得られる成果は、
第一次言語データの特質、習得ストラテジー、会
話の過程・方法など多くの情報や見識を提供して
いる。
(2) 臨界年齢と言語の可塑性
「臨界期」という用語は、元々は生物学上の用語
である。発芽した植物は、ある一定の期間に日光
を浴びると大きく成長するが、その期間を過ぎる
長谷川 香子
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と日光を浴びてもその成長の度合いは激減するこ
となどから、植物には、成長にまつわる重要な期
間があることが判明。
このような現象を受けて、この期間を「臨界期」
と呼ぶようになった。その後、「臨界期」という用
語は、他の分野にも持ち込まれ使用されるように
なる。生まれたばかりの鳥が初めて見る動くもの
を親のようについてまわるという話は、臨界期に
おける「刷り込み」としてよく知られている。ま
た、鳥は生まれて 2週間以内に「ついばみ」をし
なければ、その後もついばみをすることがなく、
死んでしまうという。これにも「臨界期」が関係
していると考えられている。言語習得において
も、「臨界年齢」という用語が使われることがあり、
ある一定の年齢を過ぎると言語の習得が難しくな
ると言われている。幼児期あるいは思春期まで人
間社会から隔離され育った子どもたち、または、
聴覚に障害のある人は、その後の言語訓練にもか
かわらず、言語習得の上達に著しい困難が見られ
るという報告は数多くある。また、実例として、
他国へ移住した家族の場合、両親よりも子どもた
ちの方が、早く外国語を流暢に使いこなせるよう
になり、習熟度が、大人が到達できないほどの母
国語話者並みのレベルに近づくことは広く知られ
ている。第二言語の学習においても、母国語のよ
うにスムーズに言語の技能を身に着けるのは容易
ではない。言語習得研究者のデキーザーが、ハン
ガリー移民を対象に行った調査では、16歳以前に
アメリカに移住した人は、英語力が高く、17歳以
降に移住した人には個人差が見られたという報告
がある16。1967 年、レネガーグは、1976 年、人間
の脳は思春期の頃に右脳と左脳の機能分化が完了
し、左脳が言語や思考を司るようになるとともに、
脳における言語の可塑性が失われ、新しい言語の
習得が困難になると報告している17。言語の可塑
性の喪失とは、脳の神経回路が、一定期間は外部
情報に柔軟に機能するが、ある期間を過ぎると機
能しなくなる状態を指す。現在、脳科学の分野で
は、脳波、光ポトグラフィー、PET、fMRIなどの
機器を利用した研究から、言語中枢は主に左脳に
あること、また文法処理に関しても左脳と右脳の
関与に違いがあることが明らかにされている。ま
た、言語獲得における音韻関連の臨界期は、およ
そ 6歳、語順や統語規則はもう少し後で、語の意
味や語彙項目に関しては、臨界期はないとする報
告もある18。
ただし、臨界期と呼ばれる年齢を過ぎても、学
習方法や環境により、高度な言語運用能力を身に
つけることは可能であるという見解は根強い。し
かし、母国語獲得や習得に比較すると、やはり困
難さが伴い、個人差も目立つようである。生後間
もない乳児から生後 12ヶ月の乳児を対象に、母音
の聴力実験を行ったクールは、生まれて間もない
乳児は、初期状態として、世界中の普遍的な母音
をすべて聞き分けることができ、生後 6ヶ月では、
何十万もの例を聞いた結果、母語に特化した母音
を識別することができ、生後 12ヶ月では、初期状
態の認識能力を失い、母語の母音のみを母語の音
声フォーマットに沿って識別すると報告してい
る19。このことから、生まれて間もない乳児はす
べての音を聞き分けることができるが、およそ
6ヶ月頃を境に、多言語の音声に対して耳を閉じ、
母国語のみを記憶し、識別するものと考えられる。
これは、生後 6ヶ月の乳児の脳は、誕生時の約 2
倍の大きさになり、ニューロンが急激に増加する
と報告されていることに関係しているのかもしれ
ない。また、乳児が一般的に生後 7〜8ヶ月頃か
ら、人見知りをするようになるのも、自己防衛の
ための本能として、この識別能力が関与している
のかもしれない。
(3) 脳障害と言語機能
現在、脳科学の分野においては、生成文法理論
の提唱する文法中枢や文法処理に関する研究にも
関心が寄せられ、脳イメージングなどの新しい脳
機器を利用しながら、文法の特定の処理をしてい
る時に、脳のどの部位が活動するのか、また、文
法の中枢はどこにあるのかなど、脳と言語に関わ
る研究が進められている。子どもに知っていると
考えられる単語とそうでない単語を聞かせて、脳
波を調べたネビルら(1993)の研究からは、脳波
の違いが、左脳の N200と N350の成分に現れた
という結果が寄せられている20。メレールとドュ
ブー(1997)の左脳優位と右脳優位に関する実験
からは、1歳から 3歳までは、右脳の血流が多く、
3歳以降は左脳の血流が多いという結果や、フラ
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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ンス語を母語とする両親を持つ乳児は、生後 4 日
でフランス語とロシア語を判別するという結果が
報告されている21。また、脳科学分野では、脳の
損傷部位と言語機能に関する知見が明らかにされ
てから久しい。以下に、言語機能に関連する脳障
害について、概要をまとめる。(酒井:2002 参照)
(a) ブローカー失語症(ブロードマンの 44
野と 45 野の損傷)
左脳の前頭葉の梗塞により、発話の障害
が生じる。
(b) ウェルニッケ失語症(ブロードマンの
22 野の損傷)
左脳の側頭葉上部に損傷が生じ、話し言
葉の理解や発話時の言葉の選択に障害が現
れる。
(c) 角回・縁上回の損傷による障害(ブロー
ドマンの 39 野と 40 野の損傷)
ブローカー野とウェルニッケ野の間を中
継し視覚を受け取る役割がある部位。
ここに損傷が生じると文字の読み書きな
どに障��が起こる。
(d) 小脳の障害(小脳皮質と小脳核の損傷)
ここに損傷が生じると推尺異常がおこ
り、例えば、自分の人差し指を自分の鼻先
に持ってくることができない。この部位
は、運動のプラン(予測)に基づくコント
ロールを行う部位で「予測制御」と呼ばれ
る。この部位に損傷があると身体的運動機
能だけでなく、言語障害が起こることもあ
る。例えば、語の連想で、名詞から関係の
ある動詞をあげることができない。
(e) ウィリアム症候群
一般の学習能力の発達に遅れがあり、特
に空間的な位置関係を理解する能力などに
重い障害が出る。例えば、絵が描けないな
ど。
(f) 読字障害
左脳のブローカー野やウェルニッケ野の
あたりで、もともとニューロンのないはず
の表層にニューロンがあり、特異的な皮質
異常が起こる。個々の文字は知覚できる
が、文字で書かれた文章を正確に読めない
という障害で、「先天性読字障害」や「発達
性読字障害」などと呼ばれる。
(g) サヴァン症候群(言語の天才)
サヴァンとは、フランス語で「著名な優
れた学者」という意味。クリストファとい
うサヴァンは、20ヵ国語を使いこなせる「言
語天才」。生後 6 週で脳損傷と診断され、
水頭症による脳の萎縮が確認された。IQ
は平均的だが、非言語の IQ は 42〜72 点
(平均 100 点)で、29歳の時の精神年齢は 9
歳と見積もられた。このケースでは、脳の
成長過程が乳児期、あるいは幼児期で止ま
り、生得言語能力がそのまま残っているこ
とも予想される。
(4) 生得的言語能力の観点から考える英語教育
への提言
脳機能と言語習得を関連付けて考えることに異
論を唱える研究者は多いが、これまでの研究成果
や事象から、脳と年齢と言語獲得との間には、何
らかの関連があることが伺える。生成文法の理論
では、人間が乳児期の短期間に驚くほどの言語獲
得を成すのは、初期状態である普遍文法(UG)を
生得的に脳に備えているためと考えられている。
生成文法の目標は定常状態としての個別言語の妥
当な理論を構築し、人間に生得的に備わった UG
からの遷移を明らかにすることであるが、人間の
言語獲得や言語習得を考える時、これまでの研究
報告や事象が裏付ける乳児の持つ生得的な言語能
力は、言語教育に生かされるべきと感じる。従い、
日本における英語教育においては、でき得るかぎ
りの低年齢層から小学校の間において、英語を使
用する環境作りをすることが非常に重要となって
くる。シンガポール、香港、フィリピン、インド
などでは、英語は公用語、あるいは準公用語とし
て学校や公立機関で使用されている。2014 年の
調査では、世界で 58の国と 21の地域で英語が公
用語・準公用語、または、事実上の公用語として
使用されていることが報告されている22。近年、
シンガポールや Brics諸国の経済発展の大きな要
因の一つは、「英語力」と言われており、今日のグ
ローバル化や情報化を鑑みると、日本は英語技能
の養成強化が喫緊の課題であり、それが充足され
長谷川 香子
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れば、世界の中で、貿易・流通・通信・外交など
多くの分野において、さらなる発展を遂げること
ができると感じる。これからの日本は日本独自の
文化・風習を守りつつも、世界の多くの国々との
交流を通し伸展していく術を考えていかなければ
ならない。学校現場では、幼児や児童の場合は、
英語を勉強するというよりも、英語に馴染ませる
ことを念頭に、授業にレクリエーションやゲーム、
英語の歌などを取り入れながら、英語技能の向上
を目指す授業計画を立案することが重要となる。
英語の音韻は特に低年齢期に徹底した十二分なイ
ンプットが必要であり、統語規則も幼少時の言語
獲得能力により、おのずとスムーズに獲得してい
けると考えられる。そのような授業内容だと、日
本語能力が十分な水準に達しないという弊害を危
惧する向きもあるが、根本的な言語能力には格差
は生じない。実際、ヨーロッパのベルギー、スイ
ス、イタリアなど多くの国で、公用語が複数あり、
3つの言語をまったく不自由なく駆使できる人々
も多い。言語獲得や言語習得は、幼少の時期だか
らこそ重要であり、中学生以降は、語彙を増やし
たり、慣用表現を覚えたり、講読力をつけたりと
いう、また異なる学習目標に基づく授業内容と授
業展開を考案し、高い水準の総合的英語技能の養
成を目指すべきと考える。学校でのそのような環
境作りは重要であり、具体的な体制作りと授業内
容やカリキュラムの策定を始める必要がある。現
在、日本では全国多くの地域において、英語教育
特区や外国語早期教育推進特区、国際アカデミー
などが展開されており、それぞれの英語教育現場
では、独自のカリキュラムや方針に沿って、英語
技能の効果的な習得を目標に精力的な実践がなさ
れている。そのような特区英語教育を展開してい
る地域以外の一般の公・私立の学校においては、
特に、「幼児・児童の英語教育」に力を入れ、「英
語だけ」で授業を行う授業プランを取り入れるこ
とが望ましいと考える。授業は、子どもたちがと
にかく楽しく、大いに英語を使って積極的に参加
できる授業内容や段階的に英語技能を伸ばせるカ
リキュラムを設定する必要がある。研究会やワー
キンググループを立ち上げ、授業目標を明確にし、
シンプルでも徹底して英語のみで行う授業プラン
を考案し、英語教員には、研修や公開授業を通し、
サンプル授業を紹介し、訓練を補助できるような
体制作りがさらに推進されることを期待する。
5.結び
本稿では、チョムスキーの「人間に特有な言語
能力は、脳の生得的性質に由来する」という生成
文法の言語獲得説を中心に、「標準理論」、「拡大標
準理論」、「改定拡大標準理論」、「GP 理論」、「ミニ
マリストプログラム」の枠組みと方法論を検証し
ながら、生成文法理論の妥当性、中心的課題、関
連事象、研究の展望について考察した。生成文法
の理論は、人間は生まれながらに「普遍文法」(UG)
を人間本来の自然の能力として備えているが故
に、言語の文法を駆使、操作することができ、言
語の文法は、人間がそれを作ったためではなく、
言語が自然法則に従っているからである23と提唱
する。そして、生成文法の目標は、定常状態とし
ての個別言語の妥当な理論を構築し(記述的妥当
性)、UGからの変遷を明らかにすること(説明的
妥当性)と設定する。現在に至るまで生成文法理
論の目標や方法論は、その基本的考えに大きな変
更はないものの、初版の「標準理論」の文法規則
が煩雑であったため、「拡大標準理論」と「改定拡
大標準理論」では、膨大な言語事実や言語事象の
観察と蓄積による明瞭な理論化が図られた。「GB
理論」では、「拡大標準理論」と「改定拡大標準理
論」に伴う議論や試行錯誤を受けて、個別言語の
検証が本格化し、「パラメータモデル」が提出され
てからは、普遍文法の内的構成に研究の目が向け
られた。その後の「ミニマリストプログラム」で
は、「GB 理論」の資料や見解に基づき、文法の経
済化と簡素化が策定された。このように、生成文
法では、徐々に人間に内在すると仮定される「言
語知識」と「言語の獲得」に比重が置かれるよう
になり、理論構築のため、探求が進められてきた。
特に、「GB 理論」以降の個別言語の統語研究への
移行は、生物学的基盤研究へと繋がり、自然科学
分野における言語研究に拍車をかけることにな
る。このように、言語研究の方向性に大きな変化
と影響を及ぼしてきた生成文法は、現在、認知脳
科学の多くの分野において、立証的研究が精力的
に試みられている。脳科学分野では、サヴァンの
臨床実験から、外国語の習得は容易であるが、自
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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然言語の規則に従わない「エプン語」は、習得に
困難さがみられた24とする実験結果や、バイリン
ガルブレイン研究に関し、幼児期と成人してから
移民してきた人々の脳活動が、異なる脳部位で活
性化が見られる25という研究結果が寄せられてい
る。これまで、主に文系で行われていた言語研究
は、生成文法の出現により、自然科学の様々な分
野において、新たな方向への言語研究を進展させ
ており、人間科学に立脚した多くの分野にまたが
る共有・共同の今後の様々な研究成果に大きな期
待が寄せられている。
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Steven, Pinker. 1994. The language instinct. How the
mind creates language. W. Morrow and Company.
[椋田直子 訳『言語を生み出す本能「下」』NHK出
版,1995年]
福井直樹・�子美保子.2011. 『生成文法の企て』岩波
書店.
安西祐一郎.2011年.『心と脳̶認知科学入門』岩波書店
武田暁・猪苗代盛・三宅章吾. 2012.『脳はいかにして言
語を生みだすか』講談社
生成文法の生得的言語知識(普遍文法)と言語獲得
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