楽友の三原則

ありえる楽考では、ほとんどを皆さんの「常識と習慣」にゆだねて、ルールは最小限にしています。
楽友の三原則はその最小限のルールです。
対等な立場で(相手の立場から観る)
肯定の姿勢で(自分が間違っているかもしれない)
楽友という言い方をしているのは、ありえる楽考において友は重要な「概念」だからです。
自律自転の組織において、お互いは、上下関係ではなく、対等な横の関係です。
ティールのような組織にしたいと思ったら、まずは、制度的に階層をなくすことよりもまず、お互いを友だと思うことが本質なのではないかと考えています。
私にとって、組織、チーム、個人のあり方について最も参考にしているGood to Great(ビジョナリー・カンパニー2)には、素晴らしい人生にするには、愛情と敬意で結ばれた人が必要だと書かれています。
 
銀河英雄伝説によれば、民主主義とは友を求める思想、主義であるとしています。
果たして、私たちは人生において、友を求めているのか、何でもいうことを聞いてくれる従者、あるいは、自分を守ってくれる守護者(という名の支配者)でしょうか?
人と出会った時に、どちらが上かを探りマウントを取ろうとするのなら、その人は帝国主義の住人であり、友であろうとするなら民主主義の住人であるといえるかもしれません。
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カイザー・ラインハルト陛下、ワシは貴方の才能と器量を高く評価しているつもりだ。 孫を持つなら、貴方のような人物を持ちたいものだ。 だが、貴方の臣下にはなれん。ヤン・ウェンリーも、貴方の友人にはなれるが、やはり臣下にはなれん。他人事だが保証してもよいくらいさ。なぜなら、偉そうに言わせてもらえば、民主主義とは、「対等の友人をつくる思想」であって、「主従をつくる思想」ではないからだ。ワシはよい友人が欲しいし、誰かにとってよい友人でありたいと思う。だが、よい主君もよい臣下も持ちたいとは思わない。だからこそ、貴方とワシは同じ旗をあおぐことはできなかったのだ。
よって、魔術師ヤンは皇帝ラインハルトが優秀なリーダーであることは認めるし、尊敬もするが、友にはなれないという。
 
ベルセルクという物語では、主人公のガッツはグリフィスと友でありたいと独立をしようとすることで、グリフィスはダークサイドに堕ちてしまう。
 
 
 
安冨さんによれば、友とはお互いに人間として尊重しあう関係にある人(生きる技法)のことである
 
言葉にするとかんたんなことがなぜか難しい。
 
その背景に、人間関係観が影響しているかもしれません。
 
あなたが人生で求めているのは 
「対等の友人」
でしょうか。
それとも
自分を護ってくれる「主」、
あるいはなんでも言うことを聞いてくれる「従」の
「主従」
でしょうか