【ありえる楽考週報 vol.36】

今週の「ありえる楽考」週報は知識創造理論について、です。
 
ここまで手段としての組織についてお伝えしてきました。
なぜ組織が手段として必要なのかイメージ湧きますでしょうか?
大半の人にとって組織は所属するもので、使うものと言われてもピンとこないかもしれませんね。
 
もしかしたら、知識創造理論を知ることが役に立つかもしれません。
現代は知識の時代であると言われています。
知識とは何でしょうか?
 
知識を理解するのに、また、三層構造が役に立ちます。
情報と知識と知恵です。
 
情報と知識の違いは何でしょうか?
 
テレビ、新聞、インターネットにあふれているものは、情報でしょうか?知識でしょうか?
人がやりとりできるのは、情報であって、それを活かせるかどうかは、受け手の知識によります。
情報自体に価値があるのではなく、その情報が契機となって、何らかの行動を起こし、望ましい結果につなげる、入力(情報収集)-精緻化(解釈)-出力(介入)という一連をプロセスを動かしているものが知識です。
こうやったらこうなるという因果関係を証明したものが理論、つまり知識です。
 
知識と情報を分けるものは再現性です。
何度やっても誰がやってもそうなるかどうかです。
思いつきや意見、仮説とは違うわけです。
この知識があるかないかで、結果が大きく変わってきます。大量の情報が溢れている現代だからそれを活かす知識が重要になっているということなのです。
 
では、知恵は何かというと
私の理解は、知識を創り出す知識です。
つまり、理論を創り出す知の型ということです。
 
思いつきや意見、仮説を何度も試して、修正して、どんな条件でなら再現性があるのか探ってゆくあり方、哲学ということです。この試行錯誤のスピードと面白いやってみようと多くの人が試してくれる広がりのスピードに組織が関わってきます。
知識創造理論はSECIモデルと呼ばれる組織全体で知識を生み出すダイナミズムです。
それまで、創造とは天才的な個人の中で起きると考えられていたものを、実は組織だって行われるものだと提唱したところが画期的だったわけです。暗黙知と形式知に注目し、個人と個人、個人と集団、集団と集団、個人と集団と組織というように知識創造は個人ではなく、組織だって行われるというのです。これは、そうと言われればそうだと思えるかもしれませんが、直感には反するのではないでしょうか?
おそらく、わかりにくくなる原因は個人⇔集団⇔組織の三階層構造になっているところではないかと思います。一参加者とこういう場をつくろうと主体的に参加している、あるいは主催している人(つなりオーナー)には見えているものが違うのだと思います。
私自身は、大学院でSECIモデルに出会い、自分がボート部で経験したことを整理しました。
経験が先にあって、理論は後から入りました。
理論を知って、これをやろうと思ったわけではありません。
おそらく、それではうまくいかなかったと思います。
理論とは一部は説明できますが、全部を網羅することはできず、主体者が足りないものを補ってなんとかしているのが現実なのです。
では、役に立たないかというとそうではなくて、再現するために、言語があり体系が必要なのです。その足りないものを補って何とかしている部分が、暗黙知なわけですが、それを呼び出すために言語があります。
 
思いつきを試してみる
たまたまうまくいったことを再現する
そう簡単にはうまくいかないですよね。
それを失敗とは考えずに、うまくいくまでのプロセスだと励ましてくれたり、試してくれたりする人が周りにいるかどうかで、全然違いますよね。
1.自分がやってうまくいく
2.自分が関わって、自分以外の人がやってうまくいく
3.自分が関わらなくても、自分以外の人がやってうまくいく
3の状態になって、かつ、やり始めてくれる人が、止める人を上回ると増えてゆくわけです。
 
この励まし、自信を与えてくれるだけではなく、使ってみてフィードバックをしてくれて、付け加えていってくれる人がいて進化していきます。
 
ただ、そうはうまくいかないところが難しい。
何が難しいのかというとありえる楽考でもそうですが、分けると内部では安定するものの、他チームとは疎遠になるという遠心力が働くことです。
 
ホラクラシーなど自律的な組織づくりについて、多くの賢人が試行錯誤してきて、未だに決定だというものは存在していません。
 
それは、なぜ、でしょうか?
次回は、ヒエラルキーについて深めてゆきます。
 
 
 
 
ということで、今週の週報は以上です!