檜原麻希:ニッポン放送初の女性社長に就任|話題の人|三田評論ONLINE

 
──ラジオの在京キー局初の女性社長に就任されたということで、おめでとうございます。
檜原 有り難うございます。直前に内示されたので自分でも驚きました。
──ラジオ局は今、デジタル技術の進展や、従来は関係してこなかった業界との競争など変化が激しいですね。
檜原 今年は時代も平成から令和に変わり、オリンピックの1年前でもあり、世の中でいろいろなことが起きていますね。
メディアではデジタルシフトとかパラダイムシフトという言葉が、もうこの10年、あるいはこの5年ぐらいで加速しています。4マス(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)と言われる既存メディアのビジネスモデルは変化しないとやっていけない。社会の構造やルールも変化している。それに対応するのは大変だなと思っています。
ラジオで言うならば、2010年からラジコ(radiko)というデバイスができたこと、AMのラジオ局が、ワイドFM(FM補完放送局)というものに対応したことが大きな進化です。また、今、スマートスピーカーが世の中に登場してきたので、音声メディアは、これからの社会でアイズフリー、ハンズフリーということで、重要視されると思います。
──ラジオが見直されてきたということでしょうか。
檜原 ラジコができたおかげで、再び若年層がラジオを聞いてくれるようになったことは、すごく大きなことですね。ただ、われわれ民放局は広告モデルにずっと頼ってやってきたわけなので、もう1つ収益の柱を見つけていかなければいけないと思います。
──テレビ局も変化のときですが、ラジオはラジコをはじめ、一部ではテレビより先を行っていますよね。
檜原 そうですね。身軽な分、先に行っている部分はあるかもしれないですね。ラジコは2010年に、ラジオ局が大同団結してプラットフォームをつくったのですが、最近ではNHKもそこに参加している。今ちょうどテレビの同時配信が話題になっていますが、それに先駆けてやったのは、とても大きいことかもしれません。
放送というのは免許事業で、国民の共有財産である電波を使って発信しているので、その責任もあり、やらなければいけないことはたくさんあります。当然24時間365日のサービスなので、働き方改革も意識を変えてやっていかないと、今までのやり方では間に合わないですね。
──昔のマスコミのイメージだと、制作のために、食事もせずに寝泊まりしているイメージがありますからね。
檜原 まだ昭和の価値観というのも多く残っています。平成、そしてこれから令和という新しい時代の価値観もどんどん出てきて、3つの時代の価値観やモノが混在する時期になると思うのです。転換期なのかもしれませんが、どちらかに極端に寄るのではなく、バランスを上手く取って、いろいろな価値観から新しいものをつくっていく時代だと思います。
──昭和の時代に比べると女性の社会進出も進んできています。キー局ではテレビも含めて初の女性社長ということについてはいかがでしょうか。
檜原 取り上げやすいトピックスなので、そう言われることが多いですけれど、「どう思われますか」と言われてもなかなか難しい(笑)。時代の要請なのかもしれず、たまたまのタイミングなのではないでしょうか。
ただ日本では、女性登用と毎日、新聞には出ていますが、それが騒がれているということは、まだまだ進めなければいけないということでしょうね。
──昔はやはり女性だと大変だった、ということはありますか。
檜原 この業界はそういうところは差別なくやってきたとは思うんですね。でも、コンサバティブな部分は強くあって、部長以上の会議で女性を見かけることは少ない。
ただ、今の時代のほうが、セクハラとかパワハラとかがフィーチャーされやすいぶん、かえってやりにくいのではないかと思うところもあります。女性進出に役に立てるのだったら、後輩のために積極的にアドバイスはしていきたいと思います。
──前例踏襲の社会では、こうやって檜原さんが最初の例になることはいいことですね。

「オールナイトニッポン」の力

──ラジオというのは、番組にハガキを書いていた人が有名人になったり、クリエイターを生み出す場でもある。視聴者との距離感もメディアの中では独特の面白さがありますよね。
檜原 そうですね。ニッポン放送という社名より「オールナイトニッポン」という深夜番組のほうが有名で、もう50年以上このタイトルでやっているんです。「若者の解放区」ということで1967年にスタートして、それを続けてきたことがブランドに成長した理由なのかなと思います。
この番組は、その時代時代のスターを輩出するのが1つのミッションなんです。また最近活況で面白いんですよ。午前1時〜3時の本丸の「オールナイトニッポン」が、月曜日から菅田将暉、星野源、乃木坂46、ずっとやっている岡村隆史君と来て、金曜日が三四郎、土曜日がオードリーです。
そして、昔「オールナイトニッポン第2部」と言っていた午前3時からの「オールナイトニッポン0(ゼロ)」という枠がまた人気です。これはラジコでタイムフリーという機能ができてから、深夜に起きていなくても聴けるのが大きいんですね。
面白いのが、水曜日にテレビ東京の佐久間宣行さんという方がしゃべっているんです。この方はテレ東で「ゴッドタン」とかお笑い番組のプロデューサーをやっているのですが、秋元康さんにプッシュされてこの4月からやってもらっているんです。あっという間に大人気になって、今度番組でやるイベントのチケットは即完売ですね。
──日本のエンタメが面白くなっていくための生態系みたいなものができているんですね。
檜原 私の時代は、中高生が「オールナイト」を聴いていても、大学生や社会人になると卒業してしまったんですが、ラジコのおかげで、今は皆ずっと聴き続けてくれているんです。
そうやって20代の人たちも皆、聴き続けてくれている。若年層にとってはラジオの深夜放送というコンテンツはすごく意味があると思っています。

「コンテンツファースト」を目指す

──その時間帯に聴いていなくてもよくなったから、本当に面白いものなら、いつでもどこでも誰かが聴いてくれるという感じですね。
檜原 そうですね。もともとラジオ局というのは時間軸で動いているんです。編成という業務の美学はどの時間に何をはめるか。そこがある種放送局の面白さでした。
ところが、デジタル化されていろいろなデバイスが出現すると、時間を選ばなくなった。タイムテーブルをつくるのは、もうリスナーになっているのかもしれない。今は皆、テレビやラジオ、ネット、ユーチューブとか関係なく、自分の中で必要なものを選んで並べているんだと思うんです。
──それで、本当に面白いコンテンツがあれば、見るし、聴くんですね。
檜原 そうです。だからやはりコンテンツが大事で、もう1回「コンテンツファースト」を見直そう、という話を会社の中ではしています。
3つポイントがあると思っていて、1つは面白いことをやろう。それから、新しいことをやろう。もう1つは、誇りに思えることをやろう。この3つに尽きると思っています。
──「誇りに思うこと」というのは、「ニッポン放送らしさ」を出すということですか。
檜原 今年が開局65周年なのですが、その間に先輩たちがつくってきたものを大切にしたいです。1つは「オールナイトニッポン」で、これは誰もが否定できない会社のレガシーです。他の番組では、「ショウアップナイター」は、これも50年を超えています。
あとは「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」ですね。これは今年で45回目になる、毎年クリスマスにやっている24時間のチャリティー番組です。視覚障害者の方々のための首都圏の音の出る信号機の5機に1機は、ニッポン放送のチャリティーでつくってきたものなのです。この番組の初代パーソナリティは萩本欽一さんで、それをテレビに持っていったのが、日本テレビの「愛は地球を救う」なんですね。
そのように誇りに思えるレガシーを踏まえて次のものをつくっていかなければいけないと思います。それは社会貢献でももちろんあるので、自分たちがそのブランドに誇りを持つということがやはり必要だと思います。
そして、ラジオが一番強いところは、番組のパーソナリティーの信者が熱狂的なファンになるので、それがムーブメントになるところです。
──実はイベントの動員力もあるメディアですよね。
檜原 そうですね。オードリーなんて武道館を番組のイベントでいっぱいにしています。1万2,000人プラス、ライブビューイングで1万人ですからね。お客さんは皆すごく幸せそうです。
──すごいですよね。きっと居場所みたいになっているのですね。
檜原 番組のイベントは今、とても増えています。そうするとラジオの放送だけではない、いい形のエコシステムができてくると思っています。

フランスの高校から慶應へ

──檜原さんは大学時代はどんな学生だったんでしょうか。
檜原 大学時代は、友だちとお茶ばっかりしていました(笑)。サークルは最初は欲張って、カメラクラブと映画の同好会、それからテニスの同好会にも入りました。テニスは割と一生懸命やっていましたね。
──帰国子女で、フランスにいらしたんですよね。
檜原 親の仕事の関係で、5歳のときにイギリスに行き、小学校5年ぐらいで帰ってきて、また中3からパリに行ったんです。
──高校はずっとパリなのですか。
檜原 そうです。大学に入学するので日本に戻ってきて慶應に入ったんです。向こうに残ることも考えたんですけど、親戚にも慶應の人が多くて、死ぬまで友だちでいれるから、是非慶應がいいよ、と言われたんです(笑)。
実際すごく楽しい学生時代でした。時代が確かに大らかというか、何か明るいきざしに満ちていましたね。
──文学部の何学科ですか。
檜原 哲学科の美学美術史学専攻で西洋美術史をやっていました。おしゃれでしょう(笑)。すごくよかったのは、美術展に頻繁に行けたことですね。ゼミはレンブラントがご専門の八代修次先生でした。ちょっと軟派な人たちは、いろいろな大学で集まってパーティをやったりしていましたね。
自由は今よりあったかもしれませんね。今は個人情報に始まり、ルールが煩雑な一方、ネットの利便性が高いので矛盾の中で生きている感じがします。皆ビッグデータを集めて商売をしたいと思っているわけじゃないですか。当時はまだ携帯もなかったですからね。
──社会に出てから慶應でよかったなということはありますか。
檜原 慶應はやっぱり独特ですね。そもそも池上君と知り合うみたいな(笑)。
──連合三田会の当番年で檜原さんとは知り合ったわけですが、私にとってはとても有り難いことでした。
檜原 よくできた慶應のこのシステム(笑)。マスコミは慶應だけで集まるとかあまりないんです。それが連合三田会という仕組みで卒業10年、20年、30年というときに「手伝ってよ」と言われて、20年上の先輩にすごくかわいがってもらったんです。
──この縦のつながりはすごく貴重ですね。
檜原 普通は10年上とか20年下って、学生時代には決して出会わないでしょう。そこはすごいなと思いますね。やはりいい学校だと思います。

「自分を見てくれる」ラジオ

──いつ頃からラジオ局に入りたいと思ったのですか。
檜原 当時、マスコミセミナーというものがあり、「マスコミもいいかな」ぐらいのアバウトな感じで行ったら、結構早くに決まってしまって(笑)。
でも私、子供のときに結構ラジオが好きだったんですね。ハガキも書いていたし。読まれたこともありますよ。そういう意味ではラジオとリスナーの濃厚な関係は経験しています。
──面白いですね。リスナーが社長になった。
檜原 ラジオなんて、好きじゃないとなかなかやらないから(笑)。
ネットはインタラクティブのように見えていて、何かちょっと違う感じがするんですね。もう少し客観的というか。ラジオは必ず向き合っている人がいる。1対1になるんですね。もちんその後ろに聴衆がたくさんいるのだけれど、関係位置は一対一に近い。
──リスナーにとっては、タレントと1対1で向き合っているかのような感覚が得られるということですね。
檜原 そういうメディアはあまりないじゃないですか。だからその良さを広めることが必要なんでしょうね。
──今の若者は、個人としての自分を見てほしい、という人が多い気がします。ラジオはそういう「自分を見てくれている感」がありますよね。
檜原 承認欲求というのか、ある種の構われたい感じなんでしょう。だから今、もう一度ラジオに戻ってきているところはあるんでしょうね。
──すると、新社長としての抱負は、そういうラジオのよさを生かしたいということでしょうか。
檜原 もちろん、それはありますけれど、先ほど言ったように、今までの、広告モデルだけには頼れないので、違う事業展開も必要ですね。
昔から「ラジオもやっているニッポン放送」という言葉があるぐらい、いろいろな事業を手掛けています。その中でラジオという放送形態が次の時代に継続できればいいですね。
──最近の新規事業としてはどのようなものがありますか。
檜原 結構面白いところに投資しています。グレイプ(grape)というウェブメディアの会社を買収したり、HIROTSUバイオサイエンスという会社に出資したりもしています。あと、オーディオバーストというイスラエルの音声の検索技術を持っている会社や、abasakuという映像制作会社などに出資しています。
最近は映画にも出資していて、この間公開された『アルキメデスの大戦』などもそうですね。
──『アルキメデスの大戦』は好評みたいですね。
檜原 ラジオに課せられた使命として、災害など有事のときの役割があります。国もそこは重視しているわけですが、それは別に毎日あるわけではない。しかも、そういったところも通信の5Gなどで補える機能が出てくれば変わっていくかもしれません。
免許事業者で放送を預かっているという立場と、企業としての発展というところを、どう噛み合わせていくかというところが課題かと思います。
──檜原さんのパワーで、面白いラジオがまた生まれるのではないかと思っていますので楽しみにしています。
今日は有り難うございました。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。