ジドウブンカロンノススメ
ジドウブンガク?
「自動」ではなく「児童」ですね、はい。で、みなさんは「児童文学」と聞くと何を思い浮かべますか?「児童が読む文学」、「児童にふさわしい文学」などかもしれませんね。
その前に、そもそも児童って何でしょう?子どもとどう違う?
辞書的定義では児童は小学生とほぼイコールです。では小学校が存在する前には児童という概念はなかったのでしょうか?はい、なかったようです。柄谷行人という批評家は「児童の発見」という文章の中でそのような旨を述べています。つまり、学制が整い、尋常小学校が出来る以前の日本には、子ども(年齢が大人に満たない)人間は物理的に存在しましたが、それは児童ではなかったのです。そう考えると児童という概念は比較的新しいし、児童文学もしかり。だとすると、小学生にふさわしい文学=児童文学ってカテゴリーは歴史的にはそんなに古いものではないことがわかるでしょう。
ちょっと視点を変えてもうひとつ。
○○文学、たとえばアメリカ文学、というジャンルを考えるとこの定義はおそらく、アメリカ人が書いた、アメリカが主に舞台の、アメリカの匂いのする文学ですよね、きっと。アメリカ人のための、ないしアメリカ人にふさわしい文学って定義はなんかぴんと来ない。つまり、○○文学の○○に国や地理的条件(西洋など)がつく場合はその国や地域特有の文学ってことになりますよね。ところがそれを児童文学に当てはめるとちょっとオカシイ。児童文学は「児童が書いた」文学でもないし、「児童が主に主人公」かどうかも必ずしもそうでもない(動物が主人公のものだったり)。なので、実は児童文学というジャンルは結構ユニークなのです。また、近年ではYA(ヤングアダルト)も台頭し、児童文学という概念そのものに揺らぎが生じてきていると指摘する研究者もいます。
とここまで読んで、「なんかおもしろそう」と思われたでしょうか?そうでもないかな笑?この「児童文化論」という授業ではこんな感じで、絶えず「児童文学とは何か?」「何を以って児童文学となるのか?」「これは児童文学なのか?」といった視点からいろんな文学作品やアニメーションあるいは映画作品((具体的には新海誠、細田守、宮崎駿監督作品、あるいはアンパンマンやウルトラマンまでなど)にも触れながら児童という文化、そして文学について考えてみます。
なお、授業はこちらからの一方通行的な講義ではありません。基本的な知識や情報は一定程度提供しますが、その後は内容を討議、グループ内で発表、あるいは読んだ本を制限時間内に紹介するビブリオバトルといった、いわば持ち寄りパーティ的なスタイルで進行します。つまり、授業の主役はみなさん自身なのです。その点注意して積極的に参加してね。
また、評価はレポートが中心です。レポートと言っても単に情報のまとめや感想文ではありません。この授業でいうレポートとは、自ら問いを立て、それに答えるために参考文献と対峙し、自分なりの納得解を見つけるまでのプロセスを丁寧にまとめたものです。詳細な書き方は追って説明しますが、どこかのものを切って貼ればそれで済むってわけではないのでそこらへんは誤解のないように。イメージとしては手作り弁当みたいなもので、コンビニで弁当買ってきてそれを弁当箱に詰め直したものを手作り弁当とは呼ばない、ですよね?
ということで、15回の授業の後には「児童文学とは何か?」に関する自分なりの考えが持て、かつ自分が思うよい「児童文学」作品を見いだし、それらに関してその特徴を分析できるようになっていることを目指します。特に、レポートの書き方はこの授業だけでなく大学のあらゆる科目に通用するものですので、ぜひこの機会に共に学べたらと思います。
単位のためとか成績のためとかもあるけれど、学ぶことそれ自体がおもしろい。そう思えたらもう研究者への一歩を踏み出していますよ。そんなみなさんに、お会いしたいです。
どうでしょう、ジドウブンカロンヘススムカ否カ、that is a question.