ファスト&スロー

意思決定の理論 ダニエル・カーネマン
  • 幼少時代をパリで過ごす。
  • 1993年~2007年 プリンストン大学の教授(Eugene Higgins Professor of Psychology)、およびウッドロー・ウィルソン・スクールの心理学・公的行動の教授(Professor of Psychology and Public Affairs)となる。
  • 2007年 プリンストン大学名誉教授、およびウッドロー・ウィルソン・スクール名誉教授となる。
 
我々の直感は間違ってばかり? 意識はさほど我々の意思決定に影響をおよぼしていない? 
心理学者ながらノーベル経済学賞受賞の離れ業を成し遂げ、行動経済学を世界にしらしめた、伝統的人間観を覆す、カーネマンの代表的著作。2012年度最高のノンフィクション。
ありえる楽考は認知強化、常識習慣を見直すことを標榜しています。
思いがけずうまく行ったことについて、なぜ、うまく行ったのだろうかと再現を試みます。そして、いつもの直感的な思考(常識・習慣で判断していること)を見直して修正しようとしているのです。
それをカーネマンは、システム1(早い思考)、システム2(遅い思考)
 
経験と記憶の謎
最近 幸福について話す人が多いですね 過去5年に出版され タイトルに“幸福”が 入っている本を ある人に数えてもらったところ あまりの量で 40冊ほどで諦めてしまいました。
研究者たちの幸福に対する興味の高まりは かなりのものです 幸福のコーチングもたくさん行われ 皆に幸福になってもらいたいことがわかります しかし そのような努力があるにも関わらず 幸福について 明瞭に考えることを ほぼ不可能にしてしまう認知の罠が 幾つかあります
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今日は この認知の罠を取り上げます これは自らの幸福を願う一般の人にも 幸福を追究する学者にも当てはまります なぜなら 誰もが混乱した状態にいるからです 
罠の一つは 複雑さを認めることへの抵抗感にあります 幸福という言葉は もはや役立つ言葉ではない― という事が明らかになりました この言葉を様々な事に あてはめすぎるからです この言葉には 特定の意味合いがありますが 概して 狭い意味に 限定することは諦めて 幸福な状態とは何か もっと複雑な見方を しなくてはいけないのです 
二つめの罠は 体験と記憶を混同してしまうことです 生活の中で見いだす幸福と 自分の人生の幸福度合い この違いです この二つは非常に異なる概念ですが どちらも幸福という一つの観念にまとめられがちです 
三つめは錯覚に焦点を置くこと 幸福の状態を左右する状況を ゆがめて考えてしまうのは 残念なことです これは まさに認知の罠です 正確に理解する方法が無いのです
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例を出してみましょう 私の講義の後におこなった質疑応答で ある方がこんな話をしました 
彼は交響曲を聴いていて その音楽に聞き惚れていたところ その曲の終わりに 耳をつんざく音が入っていました 彼はかなり感情的に 曲が台無しになった と言いました でも 台無しになったのは 曲ではなく その経験の記憶です 彼は素晴らしい曲を 20分聴いていたのに その価値がなくなったのは 台無しになった記憶が 残ったからです 彼に残ったのは記憶しかありません この話から 我々が自らを二つの自己として 考えているらしいとわかります
経験の自己― これは 現在を生き 現在を経験し 過去にも戻れる自己です でも基本的には現在しかありません 例えば 医師が “ここを触ったら痛みますか?” と 尋ねる相手は 経験の自己です そして 記憶の自己というのがあります 記憶の自己とは 記録を残し 人生の物語を紡ぎます 医師が尋ねる質問を 例に出すと “最近の調子はどうですか?” “旅行はいかがでしたか?” なんて質問です この二つは まったく異なるもので “経験の自己”と“記憶の自己”を 混同してしまうのは 幸福の観念に見られる 混乱なのです 
記憶の自己は語り手です 我々の記憶の基本的な反応で すぐに動き出します 話をするとき 我々が単純に語っているのではなく 記憶が物語るのです 要は経験から 引き継がれたものが 話になるのです 
その一例を挙げてみます 昔行われた研究で 大腸内視鏡検査を受けた実際の患者から得たデータです この検査は今となっては痛みを伴いませんが 研究が行われた90年代には痛みを伴う検査でした 患者は60秒ごとに 痛みの度合いを報告するように言われ これは二人の患者と 彼らの痛みを記録したものです この二人のうち より苦しんだのは どちらかと聞かれたら 明らかに それは患者Bですね 彼の検査時間のほうが長く 患者Aが毎分感じた痛み以上に 患者Bは痛みを感じました 
さて 別の質問をします
患者自身に どれだけ苦しんだと思うかと尋ねると 驚くことに 患者Bよりも 患者Aのほうが より嫌な記憶として 覚えていたのです 二人の検査の話は異なっていました なぜなら その話の一番重要な部分は 検査の終わり方なのです どちらの話も 心を打たれるような内容ではありませんが 一方は もう片方よりも 明らかに悲惨なものなのです より嫌な記憶として語られた方は まさに終わるときに痛みがピークを迎えていました 本当に悲惨なものです 対象となった患者には 検査後と かなり時間が経ってから インタビューしました 検査全体の印象を評価してもらうと 患者Bよりも 患者Aが より大変だったと答えました 
これは経験の自己と記憶の自己の間で起こる はっきりとした矛盾です 経験の自己の視点で見ると 患者Bのほうが大変だったのは明らかです 患者Aにどうすべきだったか 実際に行った臨床実験で 効果が確かめられているのですが 患者Aのチューブをそれほど動かさず 大腸内視鏡検査を長引かせます そうすることで患者は痛みを感じますが その痛みは ほんの少しで それまでに比べて 痛みは激減します これを数分やれば 患者Aの経験の自己には つらい思いをさせますが 記憶の自己には ずっとましな処置です なぜなら 患者Aに与えた 経験の物語は ましなものになっているからです 物語を形作るのは何でしょう これは記憶を通して 我々が思い出す話や 我々が作り上げる話にも共通したことです 話を明確にするものは 変化であり 決定的な瞬間であり 結末なのです 結末は非常に重要な役割を果たしていて この患者のケースでは検査の締めくくりが左右したのです 
さて 経験の自己の人生には切れ目もなく どんな瞬間でも 次から次へと経験をしています “この瞬間”の行方を問うと 答えは非常に簡単で 永久に失われます 人生における時間の大半です 心理的現在は 約3秒だと 言われており その3秒は 人生で約6億回 月に約60万回もある計算になりますが ほとんどが形跡を残しません ほとんどが記憶の自己に 無視されてしまいます それでもどういうわけか 今この瞬間には価値があり そこで起きている事こそが 人生であると感じるのです 我々が生きる間に体験できる― 限られたものであり 人生をいかに過ごすかということが 価値を持つように感じますが これは記憶の自己が 残す話とは違うのです 記憶の自己と
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経験の自己とは まったく別物なのです 一番の違いは 時間の扱い方です 経験の自己の視点で見てみましょう 休暇に出かけるとします 1週目も2週目も 同じくらい楽しければ 2週間の休暇の充足感は 1週間の休暇の2倍です 記憶の自己はこのようには働きません 2週間の休暇は 1週間の休暇と さほど変わらないのです なぜなら新しく加わる記憶はなく 話自体を変化させる事がないからです このように 時間は記憶の自己と 経験の自己を区別する― 重要なポイントです この休暇の例に 時間はあまり影響力はありません 記憶の自己は 話を記憶し 語ること以上の
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働きがあります 実際に 決断をするのは記憶の自己です 例えば 大腸内視鏡検査を2回 二人の医師から受けた患者に どちらかの医師を選んでもらうとすると その患者は 記憶の中で ましだった方の 医師を選びます この選択をする際 経験の自己は関わっていません 通常 我々は経験から選ぶ事はせず 記憶から選び出します 未来のことを考える時でさえ 経験として考える事は 普通ありません 先を見越した記憶として 未来を見ています これは記憶の自己による 専制政治と考えてください 記憶の自己が決めて 経験の自己に対して 望んでいたわけでもない事も 経験させるのです 私が感じるのは
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我々が休暇に出かけるのは ―大半のケースに言えますが― 休暇とは 記憶の自己のために 行くものだという気がします これを正当化するのは少し難しいのですが 我々は記憶をどれだけ思い返すでしょうか? これは 記憶の自己が 支配している― 説明の一つです この事を考える時 数年前の南極旅行を思い出します それは今までで最高と言える旅行で その他の旅行に比べて 思い出す回数も多いのです その3週間の旅行を 過去4年のうちに思い出したのは 25分程度でしょう もしも 600枚の写真を 見返したとしたら 1時間追加されるくらいです 3週間の旅行に対し せいぜい1時間半の記憶なので 何となく不釣り合いです 私は平均的な人ほど 記憶を思い返すことをしないのかもしれませんが もっと頻繁に記憶にアクセスしたとしても 真の疑問が残ります なぜ経験と比べて 記憶に重きを置くのでしょうか? ここで
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ある思考実験をしてみましょう 皆さんの次の休暇で 休暇の最後になって 全ての写真が削除されるとします 皆さんは記憶喪失の薬を飲まされ 旅行の記憶はゼロになります それでも その休暇を選ぶでしょうか? (笑) もし別の休暇にするならば 二つの自己が対立しているので その対立をどのように解決するか考える必要がありますが 実際のところ わかりづらいんです 時間を優先すれば ある答えが出てくるでしょうし 記憶を優先すれば 別の答えが出てくるかもしれません なぜ その休暇を選んでいるかという― 二つの自己の間にある選択肢は 我々が直面する問題です 二つの自己は 二つの
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幸福の観念をもたらします 二つの自己に対して適用できる― 幸福の観念がひとつずつあるのです そこで出てくる質問は “経験の自己はどれだけ幸せなのか?” そして “経験の自己の人生において どれだけ幸せを感じているのか?” 幸福に感じる瞬間とは 非常に複雑なプロセスです 測定できる感情とは何でしょうか? 経験の自己が感じる幸福と 時間の関係性は わかっていただけたと思います もし 記憶の自己の幸福を尋ねるとしたら それはまた別物です これは ある人がどれだけ幸せに暮らしているか ということではなく その人が自分の人生を考えたときに どれだけ満足しているか ということです かなり違う観念ですね この観念の違いがわからなければ 幸福の研究はうまくいきません 私は まさにこんな感じに 長い間 幸福の研究がうまくいかずにいる― 学者の1人です 経験の自己の幸福と
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記憶の自己の満足感が 違うという事実は 近年 気づかれるようになってきました 現在では 二つを隔てて測る努力もされています ギャラップは 50万人を対象に 世界中で世論調査を行い 自分の人生と経験を どう思っているか アンケートを行いました そして それに沿った形で 他の調査も進んできました 近年では 二つの自己に絡んだ幸福に関して 解明し始めたところです 我々が学んだ主なことは 二つがまったく別物だということです ある人の人生の満足度を測る事はできても そこから その人が どれだけ人生を幸せに過ごしているかはわかりません 反対のことも言えます その相関性を示してみます 相関性は約0.5です 例えば 父の身長が180cmだと ある人が言ったとしても 彼自身の身長に関しては何もわかりませんね 多少の目安にはなりますが はっきりしたことはわかりません それくらい不確かだと思ってください ある人が 自分の人生は10点満点中8点だと言ったとしても どれだけ経験の自己が 幸せなのか 推しはかることはできません ですから相関関係は低いのです 幸福に対する満足度を支配する要素は
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わかっています お金は大切ですし 目標も大切 幸福とは主に 好きな人と共に 満足することであり 好きな人と時間を過ごすことです 他にも考えられますが これが支配的です ですから 二つの自己の幸福度を強めたい場合は まったく異なる事柄を する事になるでしょう 要は 幸福は心身ともに健全でいることと 同じ事だと考えるべきではないのです 二つはまったく違った観念です ここで手短に説明しますが
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幸福を考える時 これほど複雑化する もう1つの理由は 人生に関して考えるときと 実際に生きている日々とでは 我々は同じことに注目していないということです ですから カリフォルニアの人たちに幸せの度合いを尋ねても 正しい答えは得られません その質問を他の人にすると カリフォルニアのほうが幸せなはずだと思うのです 例えばオハイオの人なんかね (笑) ここで起きるのは カリフォルニアで暮らす事を考える時 カリフォルニアと別の場所を 対比させて考える ということです 例えば 気候の違いです 実は 気候というのは 経験の自己には重要ではなく 人がどれだけ幸せなのかを決める― 記憶の自己にも それほど重要ではありません しかし 記憶の自己がつかさどっているので 中には カリフォルニアへ 引っ越す人が出るのです 幸せになるだろうと期待してカリフォルニアへ 移り住む人たちに何が起こるのか 追跡するのは興味深いんです 経験の自己が 一層幸せになる事はありません 本当です でも確実に言えるのは 彼らがもっと幸せだと思うようになる事です なぜなら 彼らはオハイオの天気が どれだけ悪かったか思い出し 正しい決断をしたと感じるからです 心身ともに健全でいることを
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事実どおりに考えるのは非常に難しいのです どれだけ難しいことなのか わかってもらえたでしょうか ありがとう
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(拍手)
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ありがとう 質問があります
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どうもありがとう 数週間前に電話でお話しした時 世論調査で浮かび上がった非常に興味深い 結果を教えてくれましたね 時間があるので お話してくれませんか もちろんです
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世論調査で明らかになった最も興味深いことは 予想もしていなかった数値が浮かび上がったことです 経験の自己から見る幸福に関し 分かったのは 我々の感情は 収入と密接に 関わっていることです ここで明らかになったのは アメリカ人にとって 年収6万ドル以下は 60万人から聞き出した調査なので 典型的なサンプルですが 年収60万ドル以下だと… 6万ドルですね?
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そうそう 6万ドル
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(笑) 年収6万ドル以下だと 惨めさを感じ 金額が下がるほど その度合いは増します 6万ドル以上の場合は変化はありません そこまで平らな線が出るのも珍しいのです 明らかに ここで言える事は 経験的な幸福をお金で買うことはできませんが お金がないのと 惨めな思いをするということです その惨めさをはっきりと 測ることもできます 記憶の自己からみると 違う内容になります お金を儲けるほど 満足感は増す これに感情は関与しません でもアメリカ人が頑張るのも
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生活 自由 幸福の追求のためですよね? もし 皆がその調査結果を真剣に受け止めたら 私たちが信じる全てを 180度転換するような感じがします 例えば 税制に関してとか… 政治家が この調査結果を真剣に受け止めて この基盤に基づいて公共政策を動かす事は 今後あるでしょうか? 公共政策の中で
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幸福の研究も 位置づけられていると思います アメリカでの認知度向上には 間違いなく 時間がかかるでしょう イギリスや他国では 認知度が高まっていて 公共政策を考える際 幸福を視野に入れる必要性が 考慮されています 時間はかかりますし 幸福の経験の研究や 生活の評価の研究に関して 議論がなされるでしょう その議論も近々必要ですね 幸福の高め方は その人の考え方によって異なりますし 記憶の自己や経験の自己のどちらを 考えるかによっても異なります これは今後 政策に影響するでしょう アメリカでは 全国民の経験的な幸福を 測る努力がされています 今後10~20年以内に これは国家統計の 一部になると思います この問題は 今後数年の間
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一番興味深い政策論議に なりそうですね 行動経済学を生み出してくれて ありがとう どうもありがとう
 
目次
序論
本書のルーツ
本書の目的
脳の働きが今日どのように捉えられているか
専門家の正確な直感は、ヒューリスティックではなく、長年にわたる訓練と実践の成果として説明できることがおおい
 
第1部 二つのシステム
第1章 登場するキャラクター
システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)
第2章 注意と努力
衝動的で直感的なシステム1
第3章 怠け者のコントローラー
―論理思考能力を備えたシステム2 ほか)
第4章 連想マシン
第5章 認知容易性
第6章 基準、驚き、因果関係
第7章 結論に飛びつくマシン
第8章 判断はこう下される
第9章 より簡単な質問に答える
 
第2部 ヒューリスティクスとバイアス
第10章 少数の法則―統計に関する直感を疑え
第11章 アンカー―数字による暗示
第12章 利用可能性ヒューリスティック―手近な例には要注意
第13章 利用可能性、感情、リスク
第14章 トム・Wの専攻
第15章 リンダ
第16章 原因と統計ー踊りくべき事実と驚くべき事例
第17章 平均への回帰ー褒めても叱っても結果は同じ
第18章 直感的予測の修正ーバイアスを取り除くには
第3部 自信過剰
第19章 わかったつもり―後知恵とハロー効果 
第20章 妥当性の錯覚―自信は当てにならない 
妥当性の錯覚
スキルの錯覚
なぜスキルの錯覚と妥当性の錯覚が成り立つのか
評論家連中の錯覚
世界は予測不能である
スキルの錯覚を話題にするときは
第21章 直感対アルゴリズム―専門家の判断は統計より劣る
アルゴリズムに対する敵意
ミールから学ぶ
実際に応用するときには
直感と計算式を話題にするときは
第22章 エキスパートの直感は信用できるか
 
第23章 外部情報に基づくアプローチ
第24章 資本主義の原動力
第4部 選択
第25章 ベルヌーイの誤りー効用は「参照点」からの変化に左右される
第26章 プロスペクト理論ー「参照点」と「損失回避」という二つのツール
第27章 保有効果ー使用目的の財と交換目的の財
第28章 悪い出来事ー利益を得るより損失を避けたい
第29章 四分割パターンー私たちがリスクを追うとき
第30章 めったにない出来事ー「分母の無視」による過大な評価
稀な出来事を話題にするときは
津波は日本でも極稀にしか起きない。だがそのイメージがあまりに鮮明で真に迫っているので、観光客さえその可能性を過大評価しがちである
これは大災害によくあるパターンだ。最初は、発生確率を大げさに考えて過大に重みをつける。ところが時が経つうちにすっかり無視するようになる
たった一つのシナリオにこだわるべきではない。さもないと、その発生確率を過大評価することになりやすい。別のシナリオを想定し、そちらが起きる確率も見積もるべきだ。
第31章 リスクポリシーリスクを伴う決定を総合的に扱う
リスクポリシーを話題にするときは
  • 彼女にトレーダーのつもりで考えろと言ってくれよ。小さく勝って小さく負けるんだ。
第32章 メンタルアカウンティングー日々の生活を切り盛りする「心理会計」
彼は現金とクレジットカード用の買い物資金を心のなかで別々の勘定に記載している。私に言わせれば、お金はお金
第33章 専攻の逆転ー単独評価と並列評価の不一致
第34章 フレームと客観的事実ーエコンのように合理的になれない
フレーミング効果と客観的事実を話題にするときは
損失ではなく利益という言葉を使って結果を表現すれば、回答者は好感を抱くだろう
参照点を変更して、問題をフレームし直す方がいい。まず、それを持っていないとしたら、それを手に入れることにどの程度の価値を見出すだろうか
フレーミングとは何か2024/6/8 22:442024/6/8 22:44
第5部 二つの自己
第35章 二つの自己ー「経験する自己」と「記憶する自己」
二つの自己を話題にするには
 
第36章 人生は物語ーエンディングがすべてを決める
第37章 「経験する自己」の幸福感ーしあわせはお金で買えますか?
第38章 人生について考える
生活評価を話題にするときは
 
結論
付録A 不確実性下における判断ーヒューリスティックとバイアス
 
付録B 選択、価値、フレーム
 
 
 
 
結論2024/6/8 22:442024/6/8 22:46
 
Judgment under uncertainty: Heuristics and biases.2024/6/8 22:442024/6/8 22:44Judgment Under Uncertainty: Heuristics and Biases 2024/6/8 22:442024/6/8 22:44ハーバート・サイモン:義塾を訪れた外国人|義塾を訪れた外国人|三田評論ONLINE2024/6/8 22:442024/6/8 22:44