プロジェクトの経緯
JobsのStanfordの卒業式のスピーチの
"“if today were last day of life would I want to do what I'm about to do today”
というメッセージに衝撃を受け、明日死ぬとしても、やり続けることは何かを問うてきました。
「ありえないをありえるに」というのは、ボート部の時に、やる前からどうせ自分たちには無理だと諦めているから勝てないのであって、やればできるということを証明できた経験から来ています。
人がありえないと考えるのは、過去の失敗体験から自分の限界を自分で決めていたり、社会の常識や親や他者からの期待に答えているからに過ぎず、そういったものから解き放たれて、本当にやりたいことは何かを問い、実現する働きかけを周囲の人にずっとしてきていました。
やればできるを実現するには、自分だけでやろうとするのは、難しいというかほぼ不可能です。
しかし、自分の弱みを知り、他者に助けてもらうことは、実はかなり乗り越えるべき壁があります。ここでも、Jobsは教訓を遺してくれています。
Jobsが30歳で自ら起業した会社を追われ、12年後に復帰して低迷するアップルを復活させたのは、クリエイティブディレクターとしてJonathan Iveを初めとするtalentたちが活躍する舞台をつくれるようになりました。
成人の発達段階という学説があります。Jobsは12年間のうちに、他者を道具のように扱う暴君の段階から、自分を知り他者を知りともに活かしあい共創する段階へと変化していたのではないか。
何がそれを可能にしたのか?

この12年間に彼が変わってのは、PIXARにあったのではないかというのが私の仮説です。『ピクサー流創造する力』に紹介されているブレイントラストに注目しました。PIXARの作品はどれも最初は駄作だというのです。それがブレイントラストを通じて、最終的に素晴らしい物語になるのだというのです。これを再現しようとしたのがありえる楽考の振り返りです。
振り返りを通じて、自分を知り、他者を知り、経験から学んでともに変化してゆくことで、発達段階が高まることと素晴らしいことを成し遂げることが同時に可能になるのではないかということです。それは、かなり、合っているのではないかと感じています。
もし、権力によって指示で人が動くと思ったままで、共感によって人が動いてくれるということを知らなかったら、定年や起業して会社を離れたなら、ひどく残念な結果が待っているのではないかと思います。
結局のところ、何かを成し遂げるというのは、純粋にこの人を何とかしたい、役に立ちたいという純粋な願いに、多くの人が共感して一緒に協力してくれて困難を乗り越えた時に起きるギフトのようなものなのではないかと思うのです。どんなにすごい人であっても、個人の力はしれていて、どれだけ多くの人に助けてもらえるか次第で、そのことを受け入れるのが器の大きさかもしれません。