セクシー田中さんで読み解くありえる楽考
ありえる楽考が何かを説明するのが結構難しい。
確かにグループコーチングをしてはいるのであるが、それはあくまで、手段であって、目的はその人の可能性が開花して自分自身や周囲の人と助けわかちあって幸せなのを見るところにある。
そんな折、田中さんに出会ったのです。

あー、これで、説明したらうまく伝わるかもという予感がした。
それで、振り返りのチェックインで「セクシー田中さん」って知ってる?と聞いてみた。
反応はあれこれであるが、説明している私が熱い。
このどこがありえる楽考ぽいかというと
自分の魅力・価値をまったく認めていない田中さんとそれをもったいない、何とかしたいと思っている朱里の関係が、メンバーとファシリの関係と同じだなと。

ファシリはコーチングスキルがあるからとかではなく、純粋に「この人すごーい、素敵!」「なのにどーして、その魅力に気づいてないの!もったいない、なぜ、どーして!!」と何とかしたいとおせっかいを焼いているうちに、自分も魅力に気づいてないその1人だということがわかってきます。
なぜ、この人が気になるのかというとそれは自分自身でもあるからです。
こういう時に、ありがちなやり方は、自分で自分のことを何とかしようとすることだと思いますが、ありえる楽考では、他者の世話をやくのです。そして、自分のことは誰かに世話をしてもらうのです。
なぜかというと、自分のことを客観的に観るのは難しいのですが、他者のことは、自分のことよりは見えます。
なぜ、そうなってしまうのは、自分の中でも起きていることなので、想像しやすい。
他の人をサポートしているようで、自分自身も応援してもいるのです。
ところが田中さんは自分を追っかけるなんで変な人と
自分ひとりでは「あなたには価値がある!」というメッセージを受け取ってもらえないので、他に3人の人を誘って「集合天才(グループ・ジーニアス)」で、何とかするというのがグループコーチングです。

グループコーチングというと英会話のグループレッスンのようなことをイメージされるかと思います。これとは違うのです。先生が複数の生徒をみるのではなく、1人の生徒を先生含めてた4人でサポートすることを4人がお互いに順々にやっていくのです。
つまり、主語が違うのです。私たちなのです。
かつてETICで若者のメンターをしていた藤沢烈くんと鎌倉でやっていたソーシャルシェアハウスに合宿に来ていたワーク・ライフ・バランスの小室さんやかものはしの村田さん、フローレンスの駒崎さんたちが、経験も知識もお金もないものの「この人たちをなんとかしたい」という思いだけで動いていました。その後、仲間が集まり、支援されていた側の人が今度は支援する側にもなってゆくことで活動が広がってゆくのを見ていました。
ありえる楽考というとグループコーチングの方がわかりやすいのですが、より重要なのは助けわかちあうコミュニティの方です。自分だけで何とかする必要はないのです。
ありえる楽考の参加者は、誰かが「もったいない!ほっておけない」と思った人です。ファシリになるのは、誰かを「もったいない!ほっておけない」と思った時です。
価値とは何か
できるからやるのではなく、必要だからやるのです。
ただ、やみくもに頑張っても、空回りするだけなので、「適切な努力」の仕方が必要になります。
そこで出てくるのがありえるシートです。

誰の何にと的を定めるのが、同心円の目的の部分です。
価値とは的の人にとっての望ましい変化のことです。
青からオレンジへの変化が的の人にはどう感じられるのかを想像するわけです。
なぜ、青の状態に留まっているのか。
田中さんのオレンジの状態はどんな状態でしょうか?
オバサンが人前で腹を出して男に媚をうるような踊りをして恥ずかしくないのかと自分の偏見で田中さんを裁くオジサン(笙野)に朱里は怒ります。田中さんはそんな風に見られるのは慣れているといいます。だから会社の人には知られないようにしている。
田中さんはなぜベリーダンスをと笙野に問われ
正解がないので迷うんです。 自分が「こう在りたい」正解を自分で選び取るしかない 自分の頭で考えて、選んだ結果って 誰に何を言われても揺るがないじゃないですか 私は自分の頭で考えて 自分の足を地にしっかりつけて生きたかった 多分、だからベリーダンスだったんです。他者の偏見をはねのけて強く在りたい全て内包して柔らかく共存したい模索している未熟
と答える。
これは田中さんの問いであると同時に
朱里の問いでもありそうです。
他人にどう思われるかを気にして生きるのか
その期待や偏見と闘うのか
他人の視線を理解しつつ内包して超えてゆくのか
これは発達の課題でもあるのですね。
ヒラリー・クリントンの大統領選挙の敗北スピーチが流れるシーンがあります。
女性にはガラスの天井がある
これを聞いている女性の皆さんに
そのガラスを突き抜けていって欲しい
とバトンを託す
世間の常識という壁を超えることが