6月5日〜8日鶴岡サイエンスパーク

6月5日(水)〜8日(土)にかけて山形県の慶應義塾の研究所に行きます。

鶴岡、山形県に知り合いがいらっしゃる方は、ぜひ、ご紹介くださーい

「じんかた」を体験することが最大関心です。じんかたは、たまかつを言語化する取り組みなんだろうと思います。他者のモノサシによる優秀さではなく、自分のモノサシで理想に向けて熟達する脱優等生になってゆくことなのだと思いますが、ありえる楽考の目指すところと近いのだろうという気がしています。
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血液検査からうつ病を簡便に診断、唾液を用いたがん疾病のリスク検査、個々人の腸内環境に合わせた健康維持・疾患予防、微生物を用いて発酵生産したたんぱく質繊維を素材に使ったTシャツ──。生命活動の解明を研究対象とする慶應義塾大学先端生命科学研究所(IAB)から巣立ったスタートアップ企業から、「Beyond Health」領域において数多くの成果が生まれ始めている(関連記事)。生命科学分野においてIABが果たしてきた役割、IAB発スタートアップ企業の根底に流れる思想、そしてIABが目指すものは何か。これらは、IAB設立当初から所長を務める冨田勝氏の言葉抜きには語れない。
 
冨田所長。バイオラボ棟内にある解析装置群の前で(写真:向田 幸二、以下同)
冨田所長。バイオラボ棟内にある解析装置群の前で(写真:向田 幸二、以下同)

「賢い研究者がやることではない」とまで言われた

コンピューターを活用した生命活動の解明は今や当たり前になっていますが、慶應義塾大学先端生命科学研究所(IAB)が設立されたのは2001年です。当時の状況をお聞かせいただけますか?
生物データを網羅的に取得してその大量のデータをコンピューターで理解する、という「データドリブン」(データ稼働型)の研究所は、2001年当時、世界でもIAB以外にありませんでした。
IABでは、遺伝子を網羅的に解析する「ゲノム解析」、たんぱく質を網羅的に解析する「プロテオーム解析」に加えて、代謝物を網羅的に解析する「メタボローム解析」の技術を独自に開発しました。血液や尿をメタボローム解析すると、その人のその時の体調が分かります。今では世界中で一般的に使われている技術ですが、2001年当時は「メタボローム」という言葉すらありませんでした。私たちが作った言葉なのです。
私には、生命科学はデータドリブンが主流になるという確信がありました。そしてメタボローム解析がそのカギになると考えました。そこで当時大手分析機器メーカーに勤務していた曽我朋義氏に声をかけ、鶴岡で一緒にやろうということになりました。
私が「とにかく、できる限り全部の代謝物を一度に測定したい」と言うと彼はびっくりしていました。「全部測りたいなんて言う人は初めてだ」という反応です。それでも2002年にCE-MS法というメタボローム解析法が完成し、特許をとってヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(HMT)という企業を立ち上げました。CE-MS法とは、キャピラリー電気泳動(Capillary Electrophoresis)と質量分析計(Mass Spectrometry)を組み合わせた技術です。
サンプル中の代謝物を全部測るということに対して、当時の偉い先生方から苦言を呈されました。「そもそも生物学とは仮説検証型の学問である。まずは頭を使って仮説を立て、それに基づいてなるべく効率いい実験系を設計し、最小の労力で最大限の結論を導くことが、生物研究の醍醐味である」というのです。仮説もないまま全てを測定するなんてことは、賢い研究者がやることではない、とまで言われました。。
しかし私は、生物という複雑なシステムを理解するためには、データドリブンでなければならないと確信していました。そして今ではメタボローム、トランスクリプトーム、プロテオームなどを総合したオミックス(網羅的な生体分子情報)のバイオロジーは当たり前になりました。オミックスを使わないバイオの研究はあり得ない状況になっており、今ではデータドリブンのバイオロジーを批判する人はいません。

「ヒト」という謎だらけの知的システムの面白さ

「代謝物を全部測ること」に対する疑問の声にはどのように答えたのでしょうか。
メタボローム解析は、差を見るのにとても良い手法です。例えばある疾病の患者30人の血液サンプルと、健常者30人の血液サンプルをメタボローム解析で、それぞれ数百種類の代謝物を全部測ります。その後コンピューターを使って統計処理すると、患者の血液だけに多く含まれている物質がすぐに分かります。つまり、患者と健常者の血液成分の違いから、その疾病のバイオマーカー(病気の変化や治療に対する反応に相関し、指標となる生体内物質)を見つけることができるすばらしい手法なのです。
「データドリブンになる」という確信は、どこから得られたものでしょうか。
私は大学卒業後、情報科学、とりわけAI(人工知能)の分野で研究していました。AIの研究というのは、究極的には人の知能をコンピューター上に再現するのが目標ですが、これがとてつもなく難しい。自分が生きているうちにはできないと思ったのです。
ある日ふと気がついたのが、自然界の驚くべきシステムです。自然界では、「ヒト」という知的システムが世界のいたるところで誕生しています。1個の細胞(受精卵)が分裂を繰り返し、最終的に37兆個の細胞からなる知的システムが半自動的に出来上がります。AI技術者が100年かかっても造れないような、画像処理や音声認識を行い、感情を持つといったものすごく知的なシステムが生まれ、言葉をしゃべり始めるのです。これはすごいことだと。その発生過程の仕組みがどうなっているのか、ほとんど分かっていないが、その設計図はゲノム(DNA)に書き込まれているということです。
ヒトという生物の設計図であるヒトゲノムはA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)という4つのアルファベットが30億文字並んだ長大な暗号文です。これは1Gバイトの情報量になります。最近のパソコンのデータ容量は700Gバイトぐらいありますから、それに比べたらほんのわずかです。わずか1Gバイトに人間1人の造り方が記載されているという事実は、私にとって衝撃でした。
1990年ころ、この30億文字の解明を試みたのが、「ヒトゲノムプロジェクト」という国際コンソーシアムでした。当初は完了には25年かかる、つまり2015年までかかると言われていました(実際には2003年に完了)。当時私は「2015年ならまだ現役だな」と考えました。ヒトゲノムプロジェクトは字面を読むだけですが、その暗号文の意味を解析するとき、新たな生命科学が始まり、そのときには必ずコンピューターが主役になると考えたわけです。
当時は30歳ちょっとでしたが、一から生物学を勉強し始めました。学生時代は生物が嫌いでした。暗記科目だったからです。教科書に答えが全部書いてあることを覚えるなんて面白くない。
しかし30歳過ぎてあらためて学び始めるととても面白い。生物学や生命科学は謎だらけです。根本的なことが何も分かっていない。ある器官はどうなっているとか、個々の要素はよく調べられて分かっているけど、それらが集まるとどうやって驚くほど知的で頑丈なシステムができるのか、全体としてはほとんど分かっていないのです。
教科書などでは40億年前に最初の生物が誕生し、それが突然変異と自然淘汰を繰り返すことで、こんな多様な生物種に進化した、という説明になっています。つまり誰かがデザインしたわけでもなく、偶然を積み重ねて37兆個の細胞から成るヒトという知的システムができたというわけです。
しかしながら、生命が地球上で誕生したのかどうかすら、科学的証拠は見つかっていません。フランシス・クリックは最初の地球生命は宇宙から飛んできたと提唱しましたが、そうだとすると宇宙のどこで誕生したのか。宇宙は140億年前にビッグバンで始まったというが、その前はどうだったのか。疑問は尽きず、生命科学の奥の深さを感じました。
さらに言うと、たとえば細胞分裂の際には、ゲノム(DNA)の情報をコピーしてから分裂します。でも、そもそもどうやって30億文字を間違いなくコピーできるのでしょうか。コピーを担当しているのはDNAポリメラーゼというたんぱく質で、その基本的な構造は20種類のアミノ酸が連なっただけのシンプルなものなのです。どうやってこんなに驚くほど精巧なナノマシンとして作動しているのか。
他にもいろいろ未知のことが多いのですが、一方で、ヒトという高度な生命システムは現実に存在します。自分自身がその証です。謎だらけだけど確かに存在している。そのことがすばらしく面白いところです。

人生を語る「意識高い系の飲み会」で…

「分からない」ことが、冨田所長を掻き立て、研究を始めとするIABの活動の原動力になったように思います。この感覚は、若手の研究者にも共有されているのですね。
そうですね。「生命分野では、実はすごいことが起きている」という目で教科書を見るとわくわくしました。分からないことがあって、それを解き明かすために、まずは分かっていることを教科書から知ろうとします。そういう眼で教科書を見てみると勉強はおもしろいし楽しい。
しかし、子どもたちや学生にとって勉強は楽しいでしょうか。私が学生時代もそうでしたが、教科書をマスターすることが最終目的になっていて、試験のために勉強します。それでは生命科学の面白さがまったく伝わっていないと感じます。生物学だけではありませんが、試験のために教科書を勉強して、合格点をとらなければならない。多くの生徒はそのことで疲弊しています。その結果、試験のために勉強して、試験が終わったら忘れてしまう。ものすごくもったいない時間を10代後半に過ごしていると思います。
では何が大事なのかというと、本当に知りたいこと、やりたいことがあるか、ということです。それが「自由研究」。研究には正解というものがなく、先生も答えを知りません。自由研究を始めると、そのためにたくさん勉強する必要があります。でも自分がやりたいことのために勉強することはとても楽しい。勉強は実は楽しいもの、ということを1人でも多くの高校生に伝えたいと思っています。
その思いが、高校生向けのイベントや高校生を研究助手などとして受け入れるなど、高校生向けの各種の活動につながってくるのですね。
研究助手および特別研究生として、2019年度は27人の高校生を研究所に受け入れました。受入条件は3つあります。1つは世界的な科学者を目指すこと。2つめは地元を世界的な街にするという高い志。そして3つめが最も重要なのですが、「AO入試または推薦入試で大学に進学する気概と勇気を持っていること」です。つまり受験勉強禁止なのです。
この条件を設定するにあたり、日本の将来を見据えたとき、今の教育システムの何が問題かを考えました。戦後70年、教科書を勉強させてテストで点数をつける教育をずっと続けた結果、言われたことをしっかりやる、いわゆる優等生をたくさん輩出してきました。戦後はゼロからのスタート。欧米先進国を手本にして、クルマや家電を作り、世界中に売って大成功したのです。みんなと同じことを地道にやっていれば必ず人生報われると言われ、そして本当に報われた時代が長く続きました。
しかしそんな高度成長期は終わり、これからは人口減少期ですから、今までと同じことをやっているだけでは売り上げは必ず下がります。時折、今までと違うことをして勝負しなければならなくなったのです。これは企業に限らず、自治体も国も個人もそうだと思います。勝負とは何かと言えば、人と違うことをやることです。でも日本には人と違うことをして勝負するマインドを持った人がとても少ない。とにかくみんなと同じように、言われたことをきっちりやる優等生的な人が多いと思います。
ある大企業の経営者が鶴岡に来られたときに、この話題について議論したことがありました。「うちの会社も優等生ばかりだ。前例のないことに率先して眼を輝かせて取り組む人がいない」と言います。そして「なぜ鶴岡には、そのような開拓者が大勢いるのか?」と聞かれました。私はこう答えました。「社内にも探せばいるはずですよ。ただ上司が優等生だと埋もれてしまう。そういう人を鶴岡に送り込んで2年間ぐらい“放牧”してみてください」と。
放牧というのは、目の前のビジネスとは関係なく、好きなことを好きなようにさせて、頭を一回空っぽにして、スタートアップ企業を興した同じ人たちと「そもそも会社は何のためにあるんだ?」というところから語り合い、行動を共にする。鶴岡では、よくそういう話になります。私はこれをジンカタ(=人生を語る)と呼んでいますが、いわゆる「意識高い系の飲み会」です。それがとても重要です。
そうした環境をうまく作り上げたのですね。
「普通は0点」がスローガンです。何か新しい計画を発表したとき、「それ、普通ですね」と言われると、LABでは全否定されたという意味です。「普通」なことは、やれる人がたくさんいるのだから、ほかの誰かにやってもらえばいい。自分たちは人がやらないことをやろうというわけです。これは、もともと慶應義塾の理念でもあります。慶應創設者の福澤諭吉は「社会の先導者」と表現しています。
福澤が生きた江戸時代末期は、平穏な鎖国の時代が長く続いたために職業が固定化されていて、生まれた時から人生が決まっている。そうすると、誰の言うことを聞いていればよいかも決まっているので、ものごとを自分の頭で考えない人ばかりになってしまった。そうした状況で開国となれば、欧米諸国の植民地にされてしまうと考えたのです。
「誰が国のトップになっても、国民一人ひとりのマインドが変わらない限り、この国は変わらない」と福澤は言いました。そこでまず世の中のしくみを知ろう、自分がいったい何ができるかを考えよう、それが『学問のすゝめ』です。そして慶應義塾では、人と違うことする先導者になれ、と説いたのです。