私の人生において決定的な転機になったのは、ボート部での経験でした。
 
20年ぶりに全日本の準決勝に進出する過程で、
人とチームの関わり、
フロー体験などベースになる体験がありました。
 
リクルートへの入社動機はボートの体験から最強
の組織づくりを研究したいということでしたが、
なぜか編集職で仕事に身が入りませんでした。
 
今にして、思えば編集職というのは、創造性の
研究・実践には最適の仕事だったのですが、
この頃は、全然わかっていませんでした。
 
入社当初はいわゆるバブルでしたが、翌年には
いわゆるオレンジショックが起きて、人がどんどん
減ってゆくという苦しい時期を体験しました。
 
その時支えになったのは、事業の存在意義でした。
自分たちがやっていることは世の中の役にたっている
と信じていました。

情報によって世の中の不平等をなくす。

 
つまり、限られた情報の中からよりは、多くの選択肢
の中から選べた方が良い。それまでは、情報を独占
している側が価格やサービスを決めていて、何も知ら
ない人はそれを受け入れるしかありませんでした。
今では、インターネットの普及によって、良いサービス
を世の中に知ってもらうコストは下がり、こんなことは
当たり前になりました。
しかし、その頃は、地道に自分たちの目で見て確認をし、
情報を加工して発信することで世の中を変えてゆこうと
していました。だからこそ、大きな借金を抱え、いつ倒産
してもおかしくないという状況の中でも価値を信じて夜
遅くまでかかっても仕事をやり抜けたのだと思います。
事業目的は働く人のよりどころであることを実感しました。
 
1999年にはコーチングに出会い翌年2000年の3月3日の
33歳の誕生日にこの会社を起業してしまいました。
 
一人ひとりの創造性を引き出しながら全員が主役の組織
づくりのイメージがあったのです。
ところが、会社の中でそれをやってみないかということに
なり、初めて名古屋を出て東京に転勤することになりました。
全員が主役の組織のモデルとして複雑系の研究のために、
田坂教授がいる多摩大学大学院に進学をしました。
そこで、思いがけず、野中先生の共同研究者である
紺野教授から知識創造の方法論を学ぶことになりました。
 

ボート部での原体験。

リクルートの混乱と復活のプロセス。

個々人から創造性を引き出すコーチング

個々の想い・情報を組織の知識創造につなげる方法論

情報による組織と社会の変革

 
が組み合わさって、プロジェクトを通じて創造性を発揮し、
社会の変革、組織の変革、自己の成長を同時に進めて
ゆくサービスの骨格ができあがりました。
 
そして、定年を迎えて15年間勤めたリクルートを退職し
創造性の研究をしながら、企業・個人に価値提供して
ゆくという今の姿になりました。
 
自分自身未知の状況への挑戦ということで、

ベトナム法人の立ち上げを請け負いました。

 
海外から日本を観ることによって、視点の変化がおきました。
 

自ら価値創造しなければ、お金に支配されてしまう

ということです。
 
企業で上から言われたことをしている人
特定の企業に依存する下請け企業
地方交付税に依存する地方
開発援助をあてにする発展途上国が
おかれている状況は似ています。
 
振り返ってみると、その時の状況によって、目標や手段
は変わっても、「個人の可能性を開花させたい」という
目的は変わらないということにあらためて気づきます。