なりたい自分を実現する 「おうち再生」応援グループ
おうち「お家」を通して おうち「お内」を整える。
その向こうに なりたい自分がいる。

おうち(お家)が散らかっているのは
「自分がだらしないから」
「やる気がないから」
だと思っていたりしませんか?
「どうせきれいにしたって すぐに散らかるし」
「いつも中途半端で終わっちゃう」
「どこから手をつけたらいいのかわからない」
そんなお悩みやご相談も増えています。
コロナ禍になって 在宅時間が増えたことで
ますます
気持ちばかりが焦って
深いため息が出ちゃったり
雑誌やSNSで見かける
素敵なお部屋と比べては落ち込んじゃう
そんなことありませんか?
もう自分には ずっといたくなるような すてきなお部屋は一生無理なのかな
・・・って諦めたくなりますよねぇ
自分のことだから一人で頑張らないといけない
そう思い込んではいないかしら?
確かにモノを残すか手放すかは
自分自身で決めていかなくてはなりません。
でもね
誰かと励まし合いながらだと
もっともっと頑張れるんじゃないかなって思うんです
3ヶ月間、毎週同じ時間に集って
1週間の振り返りをしていきます。
おうち(家) モノから片づけるも良し
おうち(内) マインドから片づけるも良し
1週間を過ごしてみて
どんな感情が動いたのか?
何を、どんな現象を、どう捉えたのか?
そんな自分を感じて、いま何を感じている?ってのを
言語化することで、どんな自分もなかったことにしない。
そうすることで、過去に置き去りにしてきた「わたし」の未完了な思い
その思いがのった「モノ」を通して、もう一度自分自身との対話が始まる。
「これなくなったら 私でいられなくなってしまう」
「ずっと持っておかないと 裏切ることになる」
1つ1つ、手放して
癒して
ととのえてそうやって
みんなで
置き去りにした自分を迎えに行ってお互いの自分を取り戻していく。
自分が自分の「なりたい自分」を実現させて
自分の未来を創っていくために。
仲間と一緒に取り組んでみませんか?
目的
なりたい自分を実現する
置き去りにしてきた過去の自分と仲直りすることで
未完了の想いと統合する。
わたしがわたしの味方になる。→周囲にも優しくなれる。
課題
人に合わせすぎる
自分のことを後回し
いつも誰かの幸せを優先する
何も積み上がらないと思い込んでいる
出来ていないところだけに目がいく
手法
参加者4名とファシリテーターの5人 1チーム
シートを使用
ありたい姿 1週間の中であったこと(事実)
やったこと(やれなかったこと)感じたこと 気づいたことを振り返る
メンバーから感じたことを伝える
参加者の声
「自分の振り返りを自分の言葉で伝えて、その振り返りをまたみんなにしてもらうことで、自分の見えていない世界を全く別の見方を毎回教えてもらえた」
「ホームができた気がする。かっこいい自分を頑張って見せなくても良い場所。ダメダメな自分を見せても良い場所が出来た。」
「自分の本当の気持ちに気づいて、その気持ちを無視しないで、ちゃんと叶えてあげようとし始めているのを感じる)
「未完了だった自分の気持ちを受け容れられた。ミーティングで分かちあうことの楽しさ嬉しさを体感した」
「わたし」のはなし
わたしが片づけを始めたのは、片づけられなくて困っていたからではない。
当時、夫が勤めていた会社の解散が決まったからだ。
3人の娘たちはそれぞれ、長女が中学3年生、双子の次女と三女は小6で、まだまだこれからお金がかかる、そういう時だった。
夫とわたし、それぞれの実家の借金もあり、その返済もあって経済的に追い詰められていた。
その中での会社の解散決定は、最悪のタイミングだった。
夫と何度も話し合った結果、一家離散という結論に至る。
娘たちを1人と2人と分散させてそれぞれの実家に一旦身を寄せよう。
仕事が決まって、住むところを確保出来たらまた一緒に暮らせばいい。
娘たちも泣きながら嫌がったが、それでもしょうがない、仕方ないと説得した。
納得はしてくれないけれども、それでもしょうがない。この道しかない。
そう思いこもうとしていた。
この頃、ちょうどわたしの周囲の人で「片づけ」が流行っていた。
特段片づけに困っている人たちではないはずなのに、明らかに雰囲気が変わっていった。
「あなたにもおすすめだから!やったらいい!」そうたくさんの人にすすめられたが、片づけにお金を払うなんて金持ちの道楽だ!と思っていた。
(うちだって、経済的に余裕があれば・・・)そんな気持ちもあった。
羨ましさとか妬ましさだったのかもしれない。
もう一家離散しか道がない、、、と、自分に言い聞かせながら、やっぱり家族で一緒に暮らしたい そんな気持ちを諦めずにいた時に、ふとこの片づけのことを思い出した。
そして、今までも経済的に窮地にたった時に、対処療法でなんとかしのいでは、また次の窮地がやってくる。そういうパターンがあるようにも感じた。
「ここでなんとかしのいで乗りきっても、今度こそ対処できないほどの大きなピンチがやってくるのではないだろうか。
もっと大きな宿題、課題のようなものを片づけないといけないのでは?」
そう思った時に、片づけだ!今わたしたちに必要なのは、問題の根っこにある根本的な課題に片をつけることだ!ときづいた。
それがわたしが片づけを始めた理由だ。
夫に相談するも、もちろん却下される。
「今のこの状況で、お金を払ってまで片づける必要がどこにある?
おかあ、頭おかしくなったんじゃないの?」
「こどもたちに穴のあいた上履きを履かせている、そんな時にそんなことしたいなんて」
わかってる。
そんなのわかってる。
でも、どうしても、家族と一緒に暮らしたいんだ。
それには片づけしかないんだよ。
と、1週間ほど話し合い、、、にもならない
もはや喧嘩のようになっていたなぁ
「どうして分かってくれないんだ
一緒に暮らしたくないの?一緒にいたくないの?」
泣きながらつぶやいたら
「俺だって一緒にいたいよ。
でも、今の状況ですら、すでにみんなを守れていない。
もっと泣かせることになるんじゃないかって。
怖いんだ。
片づける そんなことで、事態が良くなるなんて思えないし、そんな確証のないことに賭けることなんて出来ないよ」
その言葉に、そうか夫も同じ気持ちなんだって思ったんだ。
彼はわたしや娘たちのことを、ただ守りたいだけなんだ。
「わたしは、こどもたちをこの家から旅立たせてあげたい。
ここから巣立っていってほしいという願いがある。
そして出来ることなら、「里帰り」出来る場所を残したい。
その願いを諦めたくないんだ。
だから、まだチャンスがあるのだとしたら、やってみたい。
やって後悔するのと、やらないで後悔するのと。
どちらも後悔するのなら、やって後悔したい。
1年だけ。1年だけ片づけに賭けてみたい。」
説得して1年だけ、一家離散の猶予をもらった。
ここから片づけが始まった。
あれから13年経った。
結果として、いまだにあのときの東京の家に住み続けている。
3人の娘たちは、それぞれ社会人になり、長女は結婚して家をでたが
あの時手放そうとした家は、彼女にとって里帰りできる「実家」になっている。
「わたしの人生にとって大切なものは何?」
そう自分に問い続ける、この片づけで手に入れたのは
わたしの本当の願い。
わたしが願っていたのは
「居場所」だったのかもしれないと思っている。
わたしが生きていていい場所。
それは幼い頃から、自分に欲しかったものだった。
なぜだか、いつの頃からか、それは願っても手に入らないと
そう思っていたみたい。
片づけを通してたくさんの試練や学びがあったが
一番大きな学びは「無くてもなんとかなる」だった。
大量のストックを持っていたわたしは、失う恐怖と向き合った。
無くなってしまったら、わたしでいられなくなる。
モノに囲まれることで、安心したかった。
たくさんのストックが自分を支えていてくれていた。
自分の足で立つことができるまでの間、ずっと支え見守っていてくれたんだ。
無くても大丈夫。わたしはわたしの足で立っている。歩き出せる。
そう思えるまで、待っててくれた。
そんなモノたちに、今までを感謝して手放すことで、人生に片をつけたのかもしれない。
片づけで人生が変わるかどうか、、、
本当のところはわからない。
ただ、人生をどう生きるか?は
自分で決められるっていうことを片づけで学んだ。