なぜ、感じたことなのか?

発表者が発表した後に、ファシリから「感じたことからお願いします」と言うことにしています。
ところが、参加者から「感想ですが」、「質問ですが」と始まることがあったり、
ファシリが「フィードバックお願いします」と言ってしまったりすることがあります。
 
実際、参加者から質問や意見、アドバイスだったり。
そこでは、繰り返し「感じたことからお願いします」と言うことにしています。
さて、なぜ、感じたことからなのでしょうか? メンバーから聞かれたら、皆さんはなんと説明されますか?
 
感じたことから話すということを象徴的に表しているのが、「嬉しい」「すごい」のコメントです。こう伝えると場が話しやすくなるということで、ぜひ、奨励したいのですが、このコメントの違いは英語にするとよりわかりやすいのですが、 主語です。
嬉しいは I feel happy. I feel good. 私が感じたことで すごいは You are great.  あるいは、 It’s sound great で対象についての私の評価や思考なんですね。
 
 
ありえる楽考のテーマの一つは、認知強化です。認知とは何かというと判断や意思決定のことです。単純化すると入力→精緻化→出力というプロセス(手順・順番)で、ほとんど無意識で習慣的に決めています。それによってうまくいったり、失敗したりしているのですが、より望ましいことが無意識でできるように、1つのケースに注目して、このプロセスを※スローモーションにして、再現し、メンバーが一緒になって、どこがポイントだったのかを明確にし、失敗なら再発防止、成功なら再現性をもたらせるように構造化しようとしています。
※スローモーションにして自分の理想の動きと対比する
 
その取っ掛かりが、「感じたこと」なのです。
※認知のプロセス(入力→精緻化→出力)
自分が感じていることは、どこに注目して、それにどう意味づけをしたからなのか?
なぜ、そこに注目したのか?
なぜ、そう意味づけしたのか?をそれぞれが自問自答する場がありえる楽考で想定しているいい場です。表面に見えている現象だけではなく、その背景にある思いや価値観について、ケース契機にお互いを鏡にして、自己理解と他者理解を深め、自分の認知構造を望ましい方向に変容させてゆこうとしているのです。
自分の軸(自己変容段階になると他者や社会の基準も包摂した自分の軸)で判断して過たないようになってゆく取っ掛かりが「感じたこと」なのです。
 
とはいえ、感じたことを言葉にすることはなかなかに難しいことです。
社会において感じたことを聞かれることは稀ではないでしょうか。
仕事に感情など必要ない、やらなければいけないことをやるのみだと信じている人も少なくないでしょう。
作業的な仕事であれば、それでも何とかなるかもしれませんが、創造的な仕事はそれではできないのです。
創造的な仕事、挑戦的な仕事にとって必要な安全安心の場、関係の質というのは、感情の交流から始まります。
 
仕事の成果といっても、誰にとっても望ましい変化はありません。相撲取りにとって筋肉量が増えて体重が増えることはいい変化ですが、競馬のジョッキーにとっては体重増は馬への負荷が増え、スピードが出にくくなりマイナスです。変化の価値・意味を決めるのは決めるのは目的、個人であれば「たまかつ」なのです。
お互いのたまかつ(関心)に注意を向け、理解しあうために「感情」に注意を向けます。
だから、感じたことを聴いているのです。