目の前の現実を変えるために必要な7つの知性

志を実現するために磨くべき7つの知性

田坂 広志多摩大学大学院 名誉教授/グロービス経営大学院 特別顧問・特任教授/田坂塾 塾長

知性を磨き、使命を知る

田坂広志氏(以下、敬称略):何年か前にもお招きいただき、あすか会議のことは深く心に残っていた。今回も皆さんの貴重なお時間をいただいてお話をさせていただけること、本当にありがたいご縁だと思う。45分間の一本勝負。私はいつも、このような場を一期一会だと思っている。再びお会いする機会はあるかもしれないけれど、どの講演・講義でも皆さんとお目にかかれるのは1回限りだと思ってお話をさせていただくのが私のスタイル。お手元の資料にはメモを取らなくて済むようキーワードをすべて書いてあるし、大切なお話は目から目で伝わるものだと私は考えている。だから皆さん、どうぞ、私との真剣勝負、私の目を見てお付き合いいただければと思う。
 
今から13年前だったか、1冊の素晴らしい本が世に出た。『吾人の任務―MBAに学び、MBAを創る』(東洋経済新報社)という、堀義人学長が書かれた本。私はこの本を拝読したとき、グロービス、そしてあすか会議は、究極的にはたった一つのことをなさろうとしているのだと感じた。皆さんが吾人の任務、今回のテーマに変えて申し上げれば、ご自身の使命をどのように定めるか。そのために、こうやって集まり、学び、交流の場を持たれているのだと思う。
 
昨晩のパーティーにも出席させていただいたが、皆さんそれぞれに志を定め、志を交わし、山の頂に向かって生涯を賭け登っていらっしゃる。そうした登山の道すがら、互いに、「俺はこの1年間、こんな風に登って来た。頂はまだ遥か遠いけれど、確実に登ってきた」「私も自分の志を決して忘れることなく登り続けている」と。その思いを交わすため、こうして1年に1度集まっておられるのだと思う。素晴らしいと思う。
 
そんなお話をしたうえで、今日のテーマである「知性を磨く」というお話をさせていただく。先般、『知性を磨く―「スーパージェネラリスト」の時代』(光文社)という本を出した。なぜこの本を書いたか。20世紀の知性を振り返ったとき、世界はその変革を必ずしも素晴らしい形で進めてくることができなかったと私は考えている。堀学長とともにダボス会議などにも出ているけれど、世界最高の頭脳が集まる同会議のような場でも、我々の目の前にある現実を変えることができていないという事実がある。
 
では、21世紀における我々の知性はどんなものであるべきか。それを自らに問いながら書いたのが『知性を磨く~』という本で、今日はその要点を申し上げたい。本当にこの社会を良きものに変えたいという志・使命感を持って歩むなら、我々は今から申し上げる7つの知性をしっかり身に付けるべきだと私は考えている。
 
それは、「思想」「ビジョン」「志」「戦略」「戦術」「技術」、そして「人間力」の7つ。これらはすべて知性だ。この7つを聞いて、「自分はこれが得意。でも、これは…」と思う方もいらっしゃると思う。私もそうだ。ただ、この7つの知性を磨かないかぎり、実は目の前にある現実を変えることができないということを今日は申し上げたい。
 
まずは「戦略」のお話から。日々の仕事や授業を通じて目の前の現実を変えたいと思われている皆さんは、「変革の戦略」をお持ちだろうか。これが最初の問いだ。その答えを一言で申し上げるとどうなるか。戦略という字を見ていただきたい。あえて意訳すると、「戦略」と書いて「戦いを省(はぶ)く」と、私には読める。無駄な戦いはしない。もちろん経営資源が限られているから無用な戦いをしないというのも一つの理由だ。ただ、私はむしろ別の理由を申し上げたい。皆さんが経営者やリーダーとして一つの戦略を立てた瞬間、皆さんの下にいる社員の方々の、かけがえのない人生の時間を使うことになるからだ。それを決して無駄にしたくないという思いをしっかり持っている方が本当のリーダーだと思うし、私はそんなリーダーについていきたい。
 
それに、人生は限られている。100年生きたって一瞬だ。そうしたかけがえのないご自身の時間を使って目の前の現実を変えようとするからこそ、戦いを省いて無用なことはしないわけだ。そして、そんな覚悟を定めると次の問いが生まれる。
 
無用な戦いをしないためにどうするか。時代や社会の変化を追い風にする。皆さんがいらっしゃる業界や市場や産業に、今どんな風が吹いて、どんな変化が起きようとしているのか。その変化を追い風に、目の前の現実を変えるようにしなければいけない。逆風のなかを進んでみても物事は変わらない。
 
一つの例を挙げたい。デジタル革命の真っ盛りであった頃、フィルム会社の方が私のところにいらした。それで、「今後はすべてのカメラがデジタルになるかもしれませんが、なんとしてもフィルムを使っていただきたい。どうしたらよいでしょう」とのご質問だった。その業界にいて「なんとかしたい」というお気持ちになるのは分かるが、やはり大きな流れはデジタル革命だ。それなら、フィルムを使ってもらうという方向ではたいした戦略を立てようがない。
 
今、世の中にどんな変化の波が起きて、どんな風が吹いているか、皆さんはしっかり見ておられるだろうか。それを考えると戦略以前の話として、世の中がどちらを向いているか、しっかり見つめる「ビジョン」という知性が必要になる。また、そうした変化を見つめるためにはビジョンのさらに奥にある「思想」という知性も不可欠だ。
歴史のなかで生まれたさまざまな思想を学んでみると、とりわけ未来をしっかり教えてくれる思想があることに気付く。私も何年か前、それについて本を書いた。弁証法に関する本だ。「ヘーゲルの弁証法」というと単なる教養だと思われていることが多いけれど、これは本当に役立つ。たった一つの法則を学ぶだけで役に立つ。
 
今から申し上げる法則を皆さんの業界に当てはめてみて欲しい。ヘーゲルは「事物の螺旋的発展の法則」ということを言っている。「あらゆる物事の発展は螺旋階段を登るようにして起きる」というものだ。螺旋階段を登るところを想像してみて欲しい。横から見ると上に登っていることが分かる。進歩・発展していくように見えるわけだ。けれども上から見ていると、ぐるっと回って元の場所へ戻ってくるように見える。古く懐かしいものが復活してくるように見える。でも、螺旋階段だから必ず1段登っている。
 
これは単なる哲学ではない。インターネットの世界は螺旋的発展事例の宝庫だ。たとえば、インターネット上のオークションもしくは逆オークションというビジネスモデル。これ、マーケットが「市場(いちば)」と呼ばれていた時代はどこにでもあった。せりと指値だから。それが、世界が一物一価だった時代を経て再び戻ってきた。ただし、一段発展している。昔は数百人相手にしかできなかったせりや指値が、今は数百万人を相手にして行えるようになった。
 
Eメールも同じだ。メール登場前、私たちは電話を使っていた。で、そのさらに前はというと、Eメールではないけれども文章を使ってコミュニケーションをする文化が一般的だった。電話が普及する前は、「おふくろに手紙を書いたよ」なんていう時代があったわけだ。それが、今はぐるっと回って元に戻ってきた。何千通でもメールを送ることができるし、地球の裏側とも一瞬でコミュニケーションが行えるようになった。ただ、古く懐かしい、文章を使ったコミュニケーションの文化自体は戻ってきている。
 
eラーニングもそうだ。昔の日本には寺子屋があり、そこで一人ひとりの生活事情や興味や能力に合わせて学ぶことができていた。それが工業社会になると、すべての子どもが集団教育のなかで、「はい、教科書の23ページを開いて」なんて言われながら同じペースで学ぶ時代になった。でも、それがぐるっと回り、eラーニングとなって戻ってきた。能力と興味と生活の都合に合わせて学べる時代が今は世界中で広がっている。しかも、今は地球の裏側の、もしくはハーバードの講義だって聞くことができる。ここでも1段上がっていると言える。
 
そうした変化について皆さんはどう思われているだろう。古く懐かしいものが一段上がった状態で復活してくることを、皆さんはご自身の業界で戦略のなかにしっかり組み込む必要がある。時代の流れをその観点から読み取るだけで、いろいろなアイディアが出てくるのではないか。古く懐かしいものを1段発展させ、さらに進歩させて復活させたとき、皆さんはマーケットでイノベーターになっていくのだと思う。
螺旋的発展の例をもう一つ挙げたい。インターネットが復活させた古く懐かしいもののなかに、ボランタリー経済がある。これは世の中を根本から変えていくものだ。ボランタリー経済とは、善意や好意で価値あるものを相手に提供する経済。これに対し、貨幣経済はお金の獲得を目的とした経済活動だ。ただ、ボランタリー経済は、実は人類の歴史のなかで最も古い経済と言える。
貨幣経済の前には物々交換経済があった。で、そのさらに前は、コミュニティのなかでお互いが善意や好意から、「余ったからあげるよ」「魚が獲れたからあげるよ」「木の実が採れたからあげるよ」というボランタリー経済があった。文化人類学で言うところの「贈与の経済」が一般的だったわけだ。
それが今インターネット革命によって再び、大変な影響力をもって一気に復活してきた。ネットの世界にはボランタリー経済が山ほどある。Q&Aサイトを見てもお金は取られないし、世界中の人々が無償でLinux開発に参加したりしている。ネット革命の結果として、そうしたボランタリー経済が世界中の資本主義またはビジネスモデルのなかに続々組み込まれてきた。そのことをどれほど理解してビジネスモデルを立てることができているのかという問いも、投げかけておきたい。
インターネット以外にもいろいろある。たとえばリサイクル。私が子どもの頃は資源がなくリサイクルが当たり前だった。でも、そのあと大量消費と大量生産、そして大量廃棄という時代がやってきた。それで地球環境問題が起こったので、今はリサイクルが当たり前になっているわけだ。当然、1段も2段も上がっている。デジタルデモクラシーもそうだ。今はクラウドガバメントなんていう言葉もあるけれど、直接民主主義的なものが再び、これもまた数段進歩した形で復活してきた。
このように、螺旋的発展の法則一つが、今目の前にあるビジネスで現実的に役立つ知恵を与えてくれている。皆さんもそれをご自身のビジネスに当てはめて考えてみて欲しい。「自分の仕事、事業、業界、そして産業は、これからどのように螺旋的発展をしていくのか」と。これが、思想が大切だという一つの理由になる。
 
それともう一つ、思想について大切なことを挙げたい。これも『複雑系の知―二十一世紀に求められる七つの知』(講談社)という本に書いた。皆さんは複雑系という思想をどれほどしっかり掴んでいるだろうか。遺伝的アルゴリズムや人工生命といった難しいことを覚える必要はない。大切なのは根本的な本質を掴むことだけだ。
複雑系の思想がなぜ重要か。分かりやすく言うと、「企業や市場や社会といったシステムがどんどん複雑になると、なぜか生き物のようになっていく」ということだ。生命的システムに変わっていく。言葉を変えれば創発と呼ばれることが起きる。自己組織化が起きて、さらには生態系が形成されるわけだ。そうした、あたかも生命的世界のようなことが次々起こりはじめる。本当はそこにもいろいろな理由があるけれども、時間の関係があるので今日のところはその結論だけ掴んでいただければと思う。
そして、その生命的システムが持つ特徴のなかで、我々がビジネスを見るうえで最も大切にしなければいけないものが「バタフライ効果」だと言える。これは、巨大なシステムの片隅で生まれたほんの小さなゆらぎが、そのシステム全体をがらりと変えてしまうこと。今の世の中はそうした性質がどんどん強まっている。
その例として、言うまでもなくリーマンショックがある。アメリカ経済の片隅で起きた住宅産業のローン破綻が、世界中を経済的破綻に巻き込んだ。これは悪い例だ。もちろん良い例もある。ご存知の通り、スティーブ・ジョブズという天才と呼ぶべき、けれどもたった一人の人間が、世界をどれほど変えたか。あるいはグーグルのセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ。かつてスタンフォード大学の片隅で、「我々はこの検索エンジンで世界の全情報をオーガナイズする」と彼らは言った。それを傍で聞いていたら、私だって誇大妄想だと思ったかもしれない。でも、彼らは見事に世界を変えた。
会場にお集まりの誰もが、今まさにそれを問われている。今は素晴らしい時代だ。見事な志と使命感を持つ皆さまが今申し上げた7つの知性をしっかり身に付けたら、たった一人でも、たった数人でも、一つのベンチャーとしても、あるいは一つの社会起業組織としても、世界を変えられる時代だと思う。
 
昔は通用していたKFS(Key Factor for Success)というものが、これからの時代は通用しなくなっていく。昔はいろいろなケースを勉強して、たとえば成功した企業を参考にすることができたわけだ。まあ、「これは何年か前の、あの企業の戦略とすごく似ているな」ということで今も少しは参考になるかもしれない。ただ、システムの片隅で起きた小さなゆらぎが全体をがらっと変えてしまうような時代になると、そうしたKFSを自分たちの事業にそのまま適用することができなくなる。
 
むしろ本当に優れたアントレプレナーは、小さな、しかし巨大な変化につながるようなゆらぎを直感的に掴む力がある。そうした直観力を鍛えることも大切な学びの一つと言える。電車移動中に何気なく中吊り広告を見ても、直感が鋭い人は何かが動きそうだと分かる。なぜか小さなゆらぎが気になる。そんな感覚を磨く必要がある。
 
その意味では、これからの時代の戦略やマネジメントは、ある意味ですべてアートになっていく。目の前に展開するできごとはすべて1回限り。そこで全身全霊、自分の直感をかけて「この方向だ」と決める能力こそリーダーに問われていく。当然そうした直感の磨き方というのもあるし、それは私自身の修行でも大きなテーマだった。
 
それともう一つ。小さなゆらぎが世界を変えるのなら、どのようにして意味のあるゆらぎを生み出すのかという戦略思考を身に付ける必要もある。これを「創発の戦略」という。それを仕掛けたとき、自分と自分の組織の力だけでなく、たとえばバイラルマーケティングのようなネット時代のさまざまな波及効果で広がっていく戦略がある。大切なのは、そのための戦略思考を身に付けることだ。
 

「ボランタリー経済をどう活用するか」

そうなると、先ほどお話しした「ボランタリー経済をどう活用するか」というテーマが再び重要になってくる。たとえば、なぜ社会起業家の方々は、他のビジネスパーソンが「ここは儲からん」と言って通り過ぎたその市場で事業を立ち上げることができるのか。社会起業家の周りでボランタリー経済が動くからだ。
会場にいらっしゃる社会起業家の方々にも同じことが言えると思う。そこに、ボランティアで動く方々がいらっしゃる。なぜなら、その中心に志と使命感があるから。言葉を変えると、志と使命感を持つ人間の周りではボランタリー経済が動きはじめるということだ。単なる金儲けのためであれば動かないものが、世の中のためとなった瞬間、見事なほど、いろいろな方々が力と知恵を貸してくれる。そうして事業が動き出す。これこそ創発の戦略における一つの大切な眼目と言える。
そうなるともう一つ、そのさらに先にある、「ボランタリー経済の本質は何か」という問いが出てくる。当然、貨幣経済の本質は貨幣資本であり、お金だ。これはもちろん重要。
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ただ、ボランタリー経済では別の資本が動く。「知識資本」「関係資本」「信頼資本」「評判資本」「共感資本」「文化資本」。私はこの6つを挙げている。
まず、「知識資本」について。皆さんも、今ご自身が所属している組織にあてはめて考えてみて欲しい。知識資本をどれほど持っているか。ダニエル・ベルが知識資本主義ということを言ってから何十年も経っている。しかし、大企業の経営者の方々とお話をすると、いまだに「知識資本主義とは特許や知的所有権を抑えること」という、非常に浅薄な知識資本主義論がはびこっていると感じる。
そうではない。知識資本とは、自分と、そして仲間や社員が持つ知識と知恵のことだ。ここではむしろ言葉にならない知恵のほうが重要だけれども、とにかくそうした知識と知恵こそ資本と言える。また、それに限界があったとしてもメタレベルの知識資本がある。「関係資本」と呼ばれるものがそれだ。つまり、知恵は借りることができる。自身にその知恵がなくても、大学時代の同期や、あすか会議で巡り会った彼や彼女に聞いてみよう、と。知恵を借りる関係をどれほど持っているかが重要になる。
これは机のなかに名刺が何枚入っているかという話ではない。知恵を「借りる」というのは大変重い言葉だ。知恵を「もらう」とは言わない。つまり、いつか返すということ。自分が素晴らしい知恵を持っているときだけ、別の知恵を持っている人との、まさに交換経済がはじまる。大切なのは、そうした関係資本をどれほど持っているか。
また、その関係資本にもメタレベルがある。これも、すべてご自身、あるいはご自分が所属する組織や会社がそれをどれほど持っているかという視点で聞いていただきたい。関係資本がなくても「信頼資本」があれば、関係資本は生まれやすくなる。たとえば、あすか会議には素晴らしい方々がお集まりだし、パーティー会場等で名刺交換が行われ、「ぜひ先生の知恵をお借りしたい」といった挨拶が交わされるわけだ。そのとき、互いに無言でも、「この人は信頼できるか」ということを見ている。そこで、「あの人はちょっと怪しげなんだよな」と、残念ながら影で言われてしまうこともあると思う。でも、「あの人はなかなかの人物だ。信頼できるよ」となることもある。
皆さんは、そうした信頼資本をご自身のなかでどれほど磨かれているだろうか。これは、いわゆる「人間を磨く」ということだ。実際のところ、怖いと思う。実社会では口で言ってくれないから。会合を断る理由なんていくらでもある。「忙しくて」「たまたま海外出張で」等々。でも、本当はたった一人の学生の方が相手でも、その志や思いが伝われば、そしてその人間が信頼できるなら、人は自分の時間を使う。
逆にどれほどお金を積まれても、「この人と一緒に歩みたいとは思えない」となってしまう関係もある。だから、関係資本のもう一つ上にあるのが「評判資本」。「ベンチャーを立ち上げたけれども、あのメディアがたった1回小さな囲み記事を出してくれただけで、翌日電話が鳴り続け、お客さまをようやく掴むことができた」といった方が皆さんのなかにもいらっしゃると思う。これが評判資本、つまりブランドキャピタルだ。
で、あと二つの資本については割愛するけれども、とにかく、そうした目に見えない資本がボランタリー経済のなかで動いていく。そうした資本を皆さんの周りにしっかり集めるような戦略を持つということが、次のテーマにつながってくる。
ただし、当然ながら貨幣経済のビジネスモデルも重要だ。これから何が起きるかというと、ヘーゲルの弁証法における第2の法則。「対立物の相互浸透」と言われるものだ。まったく対立しているかのように見えるものが相互に浸透していく。つまり、ボランタリー経済とマネタリー経済が融合していく。
今、ネット世界のビジネスモデルはほとんどそれではないかと思う。アマゾンは高収益のビジネスモデルを構築した優等生だけれども、そこで最も魅力的なサービスは草の根の書評だと思う。ただ、それはボランタリー経済。誰もお金をもらっていない。グーグルもビジネスモデルで見事な成功を収めたが、私たちがグーグルの検索エンジンを使うことでお金を払うことはない。一方でLinuxはどうかというと、中心はボランタリー経済だけれども、周囲では、たとえばSIerの収益が生まれたりしている。そのようにして、これからはボランタリー経済という社会システムと貨幣経済のビジネスモデルが融合していく。皆さんのビジネスも、その視点で一度見直してみて欲しい。

人間と組織をどれほど理解しているか―「戦術思考」の知性も大切

 
さて、ここまでお話をして、戦略というものがだいたい見えてきたと思う。「ボランタリー経済と貨幣経済をうまく結びつける」「目に見えない資本を徹底的に活用する」「レバレッジを効かせて創発の戦略を生み出す」「小さなゆらぎでも世の中を変えることができる」等々。このあたりが戦略観だ。ただ、冒頭で申し上げた通り、戦略の次に戦術という知性がある。
 
民間企業でこういうことをおっしゃる方がいる。何かの議論で、「うーん、それは戦術レベルの問題だろ?」と。あたかも戦略が非常に高度で、戦術レベルというものはたいした話じゃないというようにおっしゃるわけだ。しかし、戦略参謀もしくは戦略マネージャーとして歩み続けてきた私自身の現場感覚で申し上げると、むしろ戦術思考のほうがよほど重要だと言える。
 
たとえば、私はかつて日本総合研究所で異業種連合のコンソーシアムをつくってきたが、そこで戦略を語っているときはラクなんだ。「スマートグリッドでこういう実証実験をやろう。真ん中に電力会社を置いて、あとはメーカーさんとゼネコンさんとSIerさんに集まってもらおう」といった戦略を立てること自体は簡単だし、わくわくする。
 
でも、ある段階から、「さあ、どうする?」という話になる。我々は趣味で戦略を議論しているわけじゃないので、実行しようとなった瞬間、まさに戦術志向の段階に入る。では、戦術思考とは何か。間違っても、「大きなものが戦略で小さなものが戦術」という話じゃない。戦術思考とはすべて「固有名詞」。「真ん中は電力会社」と言うなら、具体的にはどの電力会社にコンソーシアムへ参加してもらうのか、と。その際、どの部署の誰に話をするのか。そうした固有名詞が出てこない限り現実は動かない。
 
そこで、「ゼネコンさんが云々」といったことを具体的な固有名詞で考えるとき、最も強く求められる知性が「想像力」と言える。「あの部署のあの人にこういう話をしたらどうなるか」「むしろ、こちらの部署に話をするほうがいいんじゃないだろうか」「まずあの会社に声をかけたら、この会社がどう反応するだろうか」。そういったことを想像することが、目の前の現実を変えるビジネスプロフェッショナルの基本になる。
 
たとえばサッカーでも、「なかなかあの選手はいいイマジネーションを持っていますね」なんて言うことがある。本来であればビジネスの世界でも、想像力がない限り目の前の現実を変えることはできない。そして、そうした想像力の前提になるのは人間観と組織観だ。まずは、「人間というものは、こういう風に動いたとき、こんな風になるだろう」という人間観。それで、ビジネスでも「あの部署を先に攻めたら、別部署のあの部長がへそを曲げるかもしれない」といったことまで考えていく。
 
組織観についても同じだ。たとえば、「今、あの会社でこの組織はこういう位置づけになっているから、こういう仕掛け方をしても難しいだろう」と。組織というものの仕組みをどれほど知っているか。人間と組織をどれくらい熟知しているかが皆さんに問われる。これが戦術思考というレベルの知性になる。
 
戦術思考の次に出てくるのが技術というレベルの知性になる。これには営業力や企画力、あるいはプレゼン能力等々いろいろあるけれども、今日はあえて1つの能力に絞ってお話ししたい。最も重要な力の1つはコミュニケーション能力だ。これ、言葉にすれば誰もが考えていることだと思う。ただ、このコミュニケーション能力と呼ばれるものも、まだまだずいぶん誤解されていると感じる。
 
たとえば、「コミュニケーション能力というのは話術のことだよね」と言う方がいらっしゃる。間違った言い方ではないけれど、それはコミュニケーション能力の初級課程だ。これに関して、私は以前、『ダボス会議に見る 世界のトップリーダーの話術』(東洋経済新報社)という本を書いた。なぜか。トニー・ブレアやプーチンやメルケルといった世界のトップリーダーの話術をずっと見ていて…、もちろん話自体や言葉遣いも上手なのだけれども、彼らの話の奥にあるものを見たからだ。
 
どういうことかというと、コミュニケーションの8割はノンバーバル(非言語)ということだ。言語ではない。同じことを語っても、言葉のリズムや間、あるいは姿勢や眼差しがダメなら話もほとんど伝わらない。だから、今この瞬間も私は…、言葉でもお伝えしたいけれど、8割のノンバーバルな部分について修行をさせていただいているつもりだ。皆さんほどの方々の胸を借りて、どれほどものを伝えることができるか、と。
 
皆さんはそうしたノンバーバルなコミュニケーション能力に関して自己評価をなさったことがあるだろうか。たとえば目力(めぢから)。睨みつけるという意味じゃない。ふと目が合ったとき、何かが伝わってくるようなものをご自身で磨いていらっしゃるだろうか。目も合わせず下を向いて話をするのはコミュニケーションの初級ですらない。あるいは、人間として持っている肚(はら)の座り方もコミュニケーションの根本と言える。
 
さらに言うと、コミュニケーションというのはすべて「5分」。瞬間的には5秒のときもある。たとえばお客さまに1時間の予定をいただいて商談に行ったとする。そうして、「今日は貴重なお時間をありがとうございます」と言って話をはじめるわけだ。ただ、最初の5分で「あ、面白いね」という気持ちを持っていただけなかったら、本当はもうおしまい。約束したから1時間はとりあえず聞くふりをしてくれるけれども、心のなかでは「次の会議は~」「昼飯は~」と、別のことを考えていて、気持ちは離れている。
そこで、「あ、お客さまの気持ちが今離れたな」と気が付く人はどんどん伸びていく。でも、そこに気付かずだらだらと1時間喋る方もいらっしゃる。だから、コミュニケーションの力を磨くのなら5分の勝負をすること。3時間いただいたとしても、大事なのは最初の5分だ。そこで、「なるほど、面白い」って思っていただけなければ目の前の方は聞く気を失う。これは1人の方が相手でも1000人の聴衆が相手でも同じだ。
 
で、その5分間、なんとか気持ちを惹きつけることができたら次はどうなるか。残りの55分をしっかり聞いていただけるわけじゃない。さらに次の5分をまた聞いていただけるというだけ。結局、その積み重ねによってコミュニケーションは最高のものになっていく。私自身、そう考えて修行をしている。
 
また、これは『人は、誰もが「多重人格」 誰も語らなかった「才能開花の技法」』(光文社新書)という本にも書いたけれど、本当にコミュニケーションがうまい方は自分のなかに複数の人格がある。その使い分けが見事だ。で、ある部下がたるんでいたら「ダメじゃないか」と厳しく指摘する一方、部下が辛そうにしていると、たとえば「一緒に歩んできた10年じゃないか」と、心に染みる言葉をかける。これを行っているのは同じ人格じゃない。
 
そうした多重人格を皆さんは自分のなかで育てているだろうか。経営者の方々とさまざまな仕事をさせていただくなかで私が学んだことの1つは、優れた経営者は誰もが多重人格者であるということだった。意識しているかどうかは人によって違うけれども、どの経営者の方々も状況に応じて見事なまでに異なった人格が出してくる。
 
優秀な営業マンや企画マンについても同じことが言える。たとえば企画の前半はどちらかというと民主主義で進むから、皆、ゆったりと意見を出すことができる。ただ、終わり頃になると、すっと静かに穏やかに、エレガントに独裁者が出てくる。企画をまとめない限り話にならないからだ。そうした人格の切り替えをする。どんな仕事でも一流のプロフェッショナルは多重人格だと言える。
 
で、そうした技術の修行をしているうち、必然的に向かう世界がある。それが「人間力」の世界だ。もちろんスキルはとことん磨いたらいい。ただ、たとえば懸命にプレゼンを練習して、「俺はずいぶんプレゼンがうまくなった。パワーポイントのプレゼン資料もうまくつくれるようになったし、喋り方も上達して説得力も出てきた。論理もいい」となっても、プレゼンでお客さまの気持ちがすーっと引いてしまうことがある。
 
俗にいうスキル倒れという状態だ。で、3回ぐらいそうした失敗をすると先輩や上司がさすがに教えてくれる。「お前のプレゼンはうまいと思うよ。スキルは見事だ。でも、どっか、偉そうなんだよな。上から目線なんだよな。だからお客さんの気持ちが引いていくんだよ」と。それに気付いたときが、人間的成長を遂げる瞬間になる。
 
「君のプレゼンはなかなかうまいんだけれども、君は売りつけようという気持ちが強過ぎる」といったアドバイスもある。お客さまをなんとか操ろうという操作主義だ。今、書店にはそうした本が溢れている。客を虜にするとか、部下を意のままに操るとか、挙句の果てには上司を意のままに操るとか(会場笑)。操作主義花盛りの時代だと思う。でも、そんなものにかぶれたら、人間の真実の世界はふっとんでしまう。そのことに気付いて、「ああ、自分はどこか自分中心で、客を操ってやろうという気持ちが強かった」と思った瞬間、人間力の学びという世界に突き抜けていく。

苦労や困難こそが自分の可能性を引き出してくれる

今壇上に立っている私自身、そういう時代を超えて、いまだ修行中の身だ。人間としての完成などは遥か彼方。でも、目の前の仕事を通じて自分を磨き続けていけば、歩んだぶんだけは成長させていただけると思っている。64歳になった私はいまだ、そうした成長の道を登り続けていたいと思うし、皆さんにもそうしたメッセージは十分伝わっていると思っている。
今日の巡り合いは一期一会。少し駆け足でお話をさせていただいたけれども、皆さまには今日申し上げた、思想、ビジョン、志、戦略、戦術、技術、そして人間力という7つの知性をしっかりと磨いていただきたい。これは、どれか1つあればいいとか、どれか1つはアウトソーシングでもいいというものでもない。多少の得意不得意はあっても、やっぱり7つの知の力をしっかり身に付け欲しいと思っている。
その努力を続けていけば周りに素晴らしい方々が集まってくると思う。やはり誰もが優れた人と一緒に仕事をしたいと考えているものだ。だからこそ、今は道なかばでも、7つの知性を懸命に磨いていただきたい。給料が高いからというだけで優れた人々が集まるわけじゃない。やっぱり誰もが「高い志や深い使命感を持った人と一緒に歩んでみたい」と考えているんだ。「この人と一緒ならプロフェッショナルとして、人間として、素晴らしい成長ができる」と予感させるような方と一緒に歩んでみたい、と。
私は、同志という言葉も好きだけれど、ときに、「御同行(ごどうぎょう)」という言葉を使いたくなるときがある。これは仏教用語。同じ道を歩む仲間ということだ。人間として成長の道をともに歩んでいこうじゃないか、と。そのなかで、世の中を良きものに変えていくため、7つの知性をしっかり磨いていく。そうした志と使命感を持って歩んでいこうとしている人々の出会いこそ、ご縁と呼ぶべき深い出会いだと私は思う。
皆さんはすでに素晴らしいご縁を得てここにいらっしゃる。今日のこの場自体が素晴らしいご縁だ。13年前、『吾人の任務』という本に書いたその思いで、何もないところからスタートした方がこれほどまでネットワークとご縁を広げられた。そして、そこに集った方々同士がさらに素晴らしい縁を広げて、今、社会や日本あるいは世界を変えようとしている。「10年30年かかっても構わない。目の前の現実を1ミリでもいいから変えよう」と思い定めた瞬間、我々は素晴らしい成長をしていけるのだと思う。
皆さん、このあすか会議で、どのような志と使命感を定めただろうか。私は皆さんのお顔を昨日から拝見しているけれども、もうその質問も必要ないとすら思う。あとは目の前の現実を変えるため、ご自身の成長を大切にしていただきたい。私が若かった1970年代は、若者の誰もが学生運動で「社会、そして世界を変えるんだ」と叫んでいた。けれども、その嵐の季節のなか、私がたった1つ、学んだことがある。「自分を変えられない人間は、世界を変えることはできない」。それが、若い頃、壁に突き当って挫折したときに私が掴んだことだった。そこから民間企業で修行がはじまったわけだ。苦労は多かったと言えば多かったけれども、素晴らしい苦労だったと思う。
そもそも苦労というものは素晴らしいものだと思う。イチロー選手はかつて、ハドソンというアスレチックスのピッチャーに何試合も抑え込まれたとき、こういうことを言っていた。「ハドソンとの対戦は避けたいですか?」と聞かれた彼は、「いえ、ハドソンは私というバッターの可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーです。だから私も修行して、彼の可能性を引き出すバッターになりたいです」と答えている。
コメントの後半部分はイチローらしい矜持だと思うけれども、前半部分は野球論に収まらない。今、皆さんがなぜ目の前の現実という困難な壁に直面し、苦労をなさっているのか。志が高いからではないか。使命感をお持ちだから、壁に突き当たるのではないか。それは、ラクをして、あるいは避けて通れるものではない。「ああ、この苦労や困難が自分の可能性を引き出してくれるんだ」と信じられるから、そして自分が心に抱く使命感の大切さを信じられるから、今日も明日も、目の前にある現実との格闘を続けていくことができるのではないかと思う。
そういうお姿が、輝いている。素晴らしいお姿だと思う。実際のところ、64まで歩んだ私がそれでも未熟な人間だからかもしれないが、何年~何十年人生を歩んでも人間としての完成は遥か遠い。自分の未熟な部分は自分が一番よく分かっている。でも、やはり1~2年を振り返れば、「ああ、成長させていただいたな」と思える。
皆さんも胸に手を当てて、ご自身が人生のなかでいつ成長してきたか考えてみて欲しい。ラクだったり順風満帆だったり成功していたときだっただろうか。決してそうではない。ため息をつき、夜道を歩き、天を仰ぎ、夜も寝られぬほど胃が痛くなるような苦労や困難あるいは挫折という日々のなか、我々は成長していたことに気付く。
人生は、そうした大いなる逆説のなかにある。何が素晴らしいことで、何が本当にありがたい出来事なのか、実は分からない。私自身、これまでを振り返ってみてもそう思う。私は30歳になるまでは大学院に残ってドクターとなり、研究者の道を歩みたいと思っていた。そういう人間が民間企業の法人営業という凄まじい世界に投げ出され、修行の場を与えられた。最初は逃げ出したかった。でも、その悪戦苦闘のなか、ある日、「ああ、この世界は最高だ」と気付いた。
そのとき心に刻んだ素晴らしい言葉がある。「小賢は山陰に遁し、大賢は市井に遁す」。小さな賢い人間は山に篭って修行をするが、本当に賢い人間は市井の修羅の巷で修行をするというものだ。市井では金も動くし人間の欲も徳も動く。裏切りだってあるかもしれない。でも、そうした人間のエゴがうずめく世界で、それでも1つの思いを貫いて歩んでいくことが修行なのではないかと思う。
だから皆さんも心に抱くその使命感を大切にしていただきたい。山に篭って「私は使命感を持っている」と言うのは簡単だ。でも、人は日々の仕事のなかで悪戦苦闘する。相手も自分も未熟な人間。ときに互いの小さなエゴがぶつかるときもある。でも、それを超えてともに人間的成長を目指し、自身の志や使命感を貫いていく。そういう歩みこそ、皆さんのお姿だと思う。私も、そういう道を皆さんとともに歩みたい。
最後に申し上げたい。人生、100年生きたとしても一瞬だ。私自身、若い思いで「社会や世界を変えてみたい」と考え続けてきて、気が付いたらもう64歳だ。あと何年生かされるかは天の声次第。そうした一瞬の人生を駆け抜けていく。そのなかで、本当に心が触れ合うような巡り会いはそれほど多いわけではない。私自身、これまでを振り返って100人いるかどうか分からないほどだ。ただ、あすか会議はまさにそうした、「ああ、巡り会えて良かった」という出会いの場ではないかと思う。
もちろん、この場以外でも皆さんはいろいろな人々と巡り会っていくと思う。そのときに思い出していただきたい。人間は誰もが、未熟な自身を抱えて小さなエゴに悩まされながら、それでも「良き人生を歩んでみたい」「何か世の中のためになることをしたい」と思って歩んでいる。そうした人間の深いところを見つめることができたら、そこで素晴らしい出会いがはじまり、素晴らしい関係が生まれていくのだと思う。
そして、皆さんには人生における3つの真実を見つめながら歩んでいただきたい。「人は、必ず死ぬ」「人生は、1回しかない」「人は、いつ死ぬか分からない」。だとしたら、皆さんはかけがえのない命を…、必ず終わりがやってくる、1つしかない、いつ終わるか分からないその命を、何に使うだろうか。「使命」とは「命を使うこと」だと、私には読める。皆さんがご自身のかけがえのない命を大切な何かに使われること、心から願っている。今日はかけがえのない人生の45分を私に預けていただいたこと、改めて深く感謝申し上げたい。ありがとうございました(会場拍手)。