皆でつくる場について

いろいろな事情で、誰かが休まざるをえない状況が
どの組でも、だいたい3〜4回目でおきます。
 
その際にどうするかに、チーム運営の勘所があるのではないかと考えています。
自分自身のあり方、人との関わりを見つめることで、
その後の行動が変わり、関係性も変わってゆくからです。
ルールだから休むなとか遅れるなと言いたいのではありません。
自分自身を大切にしているかどうかが典型的に表れる場面だと感じているのです。
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自分が主体的に、情熱的に場に関われば、関わるほど、
場は良くなり、
場が自分にエネルギーを与えてくれるようになります
 
誰かが場をつくったのでは、こうはなりません。
自ら、参画するほど得るものが大きくなるのです。
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こういう場を自らつくることがリーダーシップだと私は考えています。
自分だけで成長する人はまれです。
 
卓越した成果をあげて充実感を得ようと思ったなら
日々限界に挑み、省みて自分を変えてゆくような取り組みを
最低でも10年
おそらくは30年は続ける必要があるでしょう。
 
そんなことを一人で続けることは、私には到底できません。
同行と励ましあうことなくして継続して成し遂げることは難しいのです。
 
GRITに紹介されているオリンピックの水泳選手のように
 
もし、組織が自分のエネルギーを奪う場だったとしましょう。
それだけで、日々、疲弊してゆきます。
限界に挑戦しようとすれば、失敗の連続で、
意味のある何かを成し遂げようとしたなら、
失敗によって失われたエネルギーを回復する場が必要ではないでしょうか?
それが楽考だと考えています。
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楽考では、限界に挑むのが当たり前な場を目指しています。
休みたい時、怠けたい時、
同行のことを思えば、どこからか力が湧いてきます。
そんな場でありたいのです。
そして、そんな場は、誰かがつくってくれるのではなく、
お互いが主体的、情熱的に関わった結果だということなのです。
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最初、組織をより良い場にしようとしているのは自分だけかもしれません。
みんな諦めて、現状を受け入れてしまっていることはよくあります。
 
そんな状況では、職場で浮いた存在になり、おかしいのは自分の方なのかと思ってしまうことでしょう。
 
楽考に来ることで、自分は間違ってはいないと確認でき
エネルギーがチャージされる。
 
限界に挑み続け、自分が変わるにつれて
ありがたいことに、社内にも賛同者が現れたりします
 
しかたないと諦めていた人も
きっかけがあれば、変えたいと思っている
 
みな心の中では、成長したい、貢献したいと思っているのです。
でも、一歩踏み出す、勇気ときっかけがなかったのです。
 
私たち一人ひとりには、状況を変える力があります。
 
しかし、普段は、スイッチオフになっています。
 
スイッチ・オンになる契機は
「誰かが休まざるをえない」状況だというのが私の経験則です。
 
皆さんはどう思われますか?
皆さんの意見をお待ちしています。
参加者のコメント
自分が他のメンバーに与える影響も、大きいのだと思いました。確かに、自分自身が他のメンバーからの貴重な意見に、出会うことができている毎回でした。 あとは、参加する意義が、ご本人の腑に落ちているかって言う一面もあるのかもと、動画を参照して感じた部分です。
 
そう言えば、去年受託した新卒研修の時の事を思い出しました。 その新卒研修は3ヶ月間のプログラムで、そもそもどんな研修をやっていくか?どんな体制で、何を学びたいか?から新卒メンバーで考えてもらい、それを実行していくというスタイルでやったんですが、その途中、寝坊で遅刻をした受講者がおりまして。 「遅刻すんな!あかんぞ!」 で済まして、さっさと進めても良かったんですが、なんとなく「すみません!」と凄く申し訳無さそうな顔して謝ってるその子の顔をみて「この子は一体、何を悪いと思てんねやろ」と、何となく条件反射的に思考停止して謝っている雰囲気を感じたので、その日のプログラムを全部やめて 「遅刻は悪か否か?」 というテーマでディベートをしてみたのです。 色々はしょって結果どうなったかを言うと、「遅刻は一概に悪とは言えないが、遅刻をすることで周囲に与える影響について適切に処理することが大事だよね」という結論に至りました。 謝るのはその一つの方法だけど、ただ謝るのって思考停止よねと。 その結論が出た後、皆で遅刻に対するアクションプランを検討してプレゼンしてもらったのですが、「事前の正確な報告」「影響の検討と相談」「全力の謝罪」「その後は全力で忘却(忘却のために誰かが声をかける、笑う、飯に誘う」「そんな対応で行こうと決めたことを組織内で共有」という一連の対応策が発案されました。 更にその後、研修期間が終わり現場に配属された後で、とある新卒が遅刻をした際に例のディベート後にみんなで決めたアクションプランを皆が忠実に実行したおかげで、その本人だけでなく、周囲の新卒も先輩・上司も、スムーズに業務に入ることが出来たと報告を受けました。 「遅刻や欠席はイカンもの」やというある種のステレオタイプは、何かを誰かと共創しているという事実を容易に手放し、対処的に個人主義的な対応に映らせてしまうものなのだなぁと、講師をしていた自分が一番勉強になりました。 皆で創る意義を考えている以上「その人の判断だし」と関心がないように振る舞う事は、こちらから共創を手放すという事なんだと、ちょっと自戒しました。 「その人の判断」というのも確かに事実ですが、その場にいてその場の人と価値を生んでいきたいと考えている事は、常に発信して交換していく必要があるなぁと思いました。 良い気付きの機会をありがとうございました。
 
実は自分  自身が、一回目、ドタキャン(連絡もできず! 完全に忘れていました。) しました。2回目、1か月近く間隔があく日しか調整がとれませんでした。しかし、なんとか調整し昨日の夜実施したのですが、やはりお一人参加できずとの結果になっています。みなさん、それぞれの事情があり最終的には個人の判断、思いになるのですが、仲間(チーム)としてその時、その時、その場で関係性をつくっていく必要があると考えています。仲間、大家族として考えるといいかもしれませんね!?
 
これをテーマとして取り上げることの意義を強く感じました。(←動画の11:15頃!)「欠席厳禁」といった短絡的なルールで縛るのではなく、自分自身や仲間とのつながりを見つめ直すことが大切だなーと。また春日さんからピアメンタリングの話題もありましたが、あの場では12回継続することの重要性が前提条件として全員で共有できていたことも大きかったのかなーと思い返しておりました。